成仏相に関する先師の説明。

その一。日導上人

江戸時代の日導上人(綱要導師・172489年)が著書『即身成仏義』において、
「およそ成仏というは、神通自在の身を得て、あまねく衆生を利益するを仏と云う、しかるに我等、朝夕に南無妙法蓮華経と唱え持つといえども、身もいまだ自在ならず、一分の智慧も無ければ、衆生利益は思いもよらず、やはり元の凡夫なり、成仏とは云い難し。この疑いすべて晴れ難し。これをいかが心得べしや。」
との問いを設け、その答えとして、
 法華経の序分無量義経の十功徳品に法華経の十種の不可思議の功徳力あることを説いて有るが、その中の第七の功徳力として、「いまだ六波羅蜜を修行することを得ずといえども六波羅蜜、自然に在前す」と有る。
この経文の意は、法華経の行者は、六波羅蜜を具に修行出来なくとも、南無妙法蓮華経と唱え奉れば六波羅蜜の修行が自然に成就すると云う経文である。
また、法華経の『宝塔品』に、「此の経は持つこと難し、もし、しばらく持たん者は是れ則ち勇猛なり、是れ則ち精進なり、是れを戒を持ち頭陀を行ずる者と名づく、すなわち疾く無上の仏道を得たりとす」と説かれている。
この経文の心は、持ち難き法華経をしばらくも持つ者は難行苦行して無量劫の間、懈怠なく六波羅蜜の修行をする功徳を成就して、速やかに妙覚の仏の位に入るぞと云う意味である。
これは法華経を持って南無妙法蓮華経と唱うる者は釈迦諸仏の因位の万行の御ゆずりを受けると云う経文である。
また、法華経の序分『無量義経』の「十功徳品」に、法華経の十種の不可思議の功徳を説く中に、第四の功徳力として、
たとえば国王の夫人と新たに王子を生ぜんに、もしは一日若しは二日もしは七日に至り、もしは一月もしは二月もしは七月、もしは一歳もしは二歳もしは七歳に至り、また国事を領理する事あたわずといえども、すでに臣民のために崇敬(たっとびうやまわ)れ、諸々の大王の子をもって伴侶とせん。王及び夫人、愛心偏に重く常に与(くみ)し、共に語らん。故はいかん、稚少なるをもっての故にと云わんが如し。善男子、是の持経者もまたまたかくの如し。諸仏の国王と是の経の夫人と和合して、ともに是の菩薩の子を生ず
と有る。この経文の心は、諸仏を国王にたとえ、法華経を夫人に譬え、末代無智の法華経の行者を幼稚の王子に譬え、幼稚の太子がまだ政道を行う事が出来ないことを、愚癡無智の行者が衆生を利益する事が出来ない状態に譬え、王子が幼少であっても大臣公卿が尊び敬う事を、法華経の行者がまだ無智の状態であっても、仏の果徳を具えて本化迹化の諸大菩薩を眷属とするに譬え、幼少の故に父母の愛心偏に重い事を、仏の大慈と法華経の大悲と、ひとえに末法無智の者を憐れたまう故に、法華経を受持し奉り南無妙法蓮華経と唱える時、釈尊の大慈力、法華経の大悲力の故に、自然に諸仏の因行果徳の御譲りを受けられる、と云う意味である。
そこで、『観心本尊抄』に、上の経文の意味合いを汲まれて、
釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す、我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたまう、四大声聞の領解に云く、無上宝聚不求自得(乃至)経に云く如我等無異如我昔所願今者已満足化一切衆生皆令入仏道、妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳骨髄にあらずや
と判じられたのである。
日向記』に、
題目の五字は末代のゆずり状なり。この譲状に二つの心あり、一つには、跡をゆずり、二つには宝を譲るなり。
一つには、跡を譲ると云うは、釈迦如来の跡を法華経の行者に譲りたまえり。その証文は如我等無異の文これなり。
次に財宝を譲ると云うは釈尊の智慧戒徳を法華経の行者に譲りたまえり。その証文は無上宝聚不求自得の文これなり。

と有る。この文の意味は、題目の五字が仏の御譲状であり、此の譲状に二つに譲りが有って、一つは釈迦如来の因位の万行諸波羅蜜の財宝を末代の我等に譲り与える事とし、その証文に四大声聞の領解の文の無上宝聚不求自得と云う文を引いている。
「無上宝聚不求自得」の意味するところは、四大声聞が法華経に来たって一念三千の妙法を聴聞して、我が身にありとも思わざる菩薩の六度万行の功徳を得たることを、信解品にて領解したまう文なる故に、我等いま南無妙法蓮華経と唱え奉る時、求めざるに自ら釈迦如来の因位の菩薩たりし時の難行苦行の六度万行の御譲りを受ける証文とされている。
次に釈尊の御跡を法華経の行者に譲りたまう証拠には、方便品の如我等無異如我昔所願今者已満足化一切衆生皆令入仏道を証文にされている。
一切衆生に法華経を持って我と等しく変わりなき仏の身となさむと云う釈迦如来の昔の御願が今法華経を説いたので叶えられる、との意味の経文であるから、唱題の行者に仏の御跡妙覚の位を譲りたまう証文とされたのである。
我等は愚癡無智にして一分の悟りも無い状態であっても、南無妙法蓮華経と唱え奉る時、すなわち妙覚の釈尊の御跡の譲りを受けて寿量品の本仏妙法当体の蓮華仏となって、御本尊の真中の宝塔の中に入る故に、上行・無辺行・浄行・安立行等の四大菩薩も我等が脇士となってくれるのである。
例えば、幼少の太子であっても位につけば、大臣公卿がこれを崇敬すると同様である。故に『本尊抄』には
地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属となり、例せば大公周公旦等の周の武王の臣下、成王幼稚の眷属なるが如し」と、述べらたのである。
成王と云うは周の武王の御子である。武王崩じたまいて、成王幼稚にして天下を治める事になったとき、大公・周公・史佚・召公の四聖、前後左右に侍して天下を治めた。これを無智の行者、四大菩薩を脇士とするに譬えられている。
四信五品抄』には、当宗の行者の一分の解なくして、ただ一口に南無妙法蓮華経と唱うる者の位を定めて、天子の襁褓にまとわれあるが如しと判ぜられている。襁褓(むつき)と云うは、小児を背中に負うて落とさぬように、まとう物で、産着のようなものである。唱題の行者の即身成仏というは、かぶきに纏われて天子の位につくようなものである。故に『曽谷入道殿御返事』にも
南無妙法蓮華経と唱うる人々は、その心は知らざれども法華経の心を得るのみならず、一代の大綱を悟るなり。例せば一二三歳の太子、位につきぬれば国は我が所領なり、摂政関白已下は我が所従なりとは、悟らせたまはねども、なにも此の太子のものなるが如し」と述べられている。
この文にある譬えをもって、我等が即身成仏の姿をよくよく心得べきである。
自身では、仏とも知らず衆生利益の智慧もなけれども、襁褓にまとわれた天子と同様で、すでにほとけの御跡の譲りを受けて妙覚の位に入る故に、法師品には須臾聞之即得究竟と説き、宝塔品には則為疾得無上仏道と説き、神力品には是人仏道決定無有疑と説かれていいるのである。
衆生利益の国政を行う事もならざれども、位すでに定まりぬれば、諸大菩薩の大臣公卿も左右に奉侍して、これを崇敬したまう。ほどなく成長して智慧ひらけぬれば身も自在になり利益衆生の国政も、己(おのれ)とこれを行うべし。
その時、初めてかぶきに纏(まと)われたる時より、我が身、妙覚究竟の王位にて普天の下は、悉く我がものであったと知るであろう。それまでは唱題の行者は無始の三道すなわち三徳と転じて、我が身即ち無作の三身・妙法の当体の蓮華仏にして、住処すなわち寂光土なりと、深くこれを信ずべきである。
さて、その智慧がひらけて自在の身となり、衆生利益を行えるようになる時節はいつ頃かと尋ねるに、宗祖上人の『十如是抄』に、
たとえば春、田を作り植えつれば秋冬は蔵に収めて、心のままに用ちうる如し。秋を待つ程は久しきようなれども、一年の内に待ちうるが如く。この覚に入って仏を顕すほどは久しきようなれども一生の内に顕して、我が身が三身即一の仏と成りぬるなり。この道に入りぬる人にも、上中下の三根は有れども、同じく一生の内に顕すなり。上根の人は聞くところにて、悟り極まって顕す。中根の人はもしは一日もしは一月もしは一年に顕すなり。下根の人は延び行く所が無くして、詰まりぬれば一生の内に限りたる事なれば、臨終の時に至って、もろもろの見えつる夢も醒めて、うつつに成りぬるが如く、只今まで見ゆるところの生死・妄想・邪思(しがおもい)・邪目(ひがめ)の理は跡形も無くなりて、本覚のうつつの悟りへ帰りて法界を見れば、みな寂光極楽にて、日ごろ、賤しと思う我が此の身が三身即一の本覚の如来にてあるべきなり。秋の稲には早きと中間なると遅きとの三つの稲あれども、一年が内に収まるが如く、これも上中下の差別ある人なれども、同じく一生の内に諸仏如来一体不二におもい合わせてあるべき事なり」とある。
しかれば、我等下根下機の行者なりといえども一生の内に限りたる事なれば臨終の時は、必ず智解ひらけて神通自在の身をもって十方に遊戲(ゆうげ)して、遍く衆生を利益すべし。日を数えて是れを待つべし。】(以上は要旨です)
と説明しています。
受持唱題によって釈尊の功徳を譲与されるのであるから必ず成仏出来る。ただし下根の受持唱題の信者は、喩えると未だ幼稚な王子のようなもので、まだ仏智を十分には発揮できない。しかし臨終の際には、必ず智解が発揮され神通自在の身になれると云うのが日導上人の見解です。


その二。日題上人。

日導上人は、妙法信受の下根の者は臨終と同時に、智解がひらけて神通自在の身を得て衆生を利益出来る身となる、との証文に『十如是事』を引用していますが、執行海秀師の見解では『十如是事』は偽書との事です。
「是の比丘終らんと欲する時に臨んで、空の中に於て、具さに威音王佛の先にきたもう所の法華經二十千萬億の偈を聞いて、悉く能く受持して、ち上の如き眼根淨・耳・鼻・舌・身・意根淨を得たり」との 『常不軽菩薩品』の文や、
『観心本尊抄』
「一見を歴来るの輩は師弟共に霊山浄土に詣でて三仏の顔貌を拝見したてまつらん、」
『如説修行鈔』
「命のかよはんほどは南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と唱えて唱へ死に死るならば釈迦多宝十方の諸仏霊山会上にして御契約なれば須臾の程に飛び来りて手をとり肩に引懸けて霊山へはしり給はば二聖二天十羅刹女は受持の者を擁護し諸天善神は天蓋を指し旛を上げて我等を守護して慥かに寂光の宝刹へ送り給うべきなり 」

『国府尼御前御書』
「後生には霊山浄土にまいりあひまひらせん、」(真蹟・昭定1064)
等の祖文が、臨終の即時に自在身を得ることを語る文証となるでしょう。
日蓮宗を脱宗した真迢(江戸時代の人)が、
「即身成仏と云うは、現生の内に、仏の相好を具足し、成道説法するを云うなり。今時の人の及ばざることなり。しかるに今時の人、即身成仏すと云わば何ぞ現在の内に仏の相好顕れざるや」と批判しています。
その批判に対し、日題上人が『中正論』の中で、下記のように答えています。
 即身成仏と云うは、必ずしも三十二相を現ずるものでない。相好を現じることは化他の為めであるから、八相成道して相好をしめすことは、機縁が調った場合だけである。提婆品の龍女は竜宮において法華を聞いて三因開発してすでに即身成仏しているのであって、南方無垢世界で三十二相の妙果を顕したのは、機縁が熟したからである。応身の成道のみをもって即身成仏であると限定することは誤りである。
即身成仏には、凡位と聖位との二種がある。慈覚大師の『蘇悉地経疏の一』に
成仏において二種の義あり。謂く凡位の成仏・聖位の成仏なり。凡位成仏とは、如来の智慧を得、未だ惑を断ぜずといえども、依報の二報、解に随って融通す。ただし凡情の麁劣なるを以て都見すること能わず、ただ仏のみ能く見たまう。是れを凡位の成仏となすなり。次に、精進にして懈り無く、昼夜に修習して惑障を断除し、彌増顕現し、上聖・下凡、同じく見ることを得、是れを聖位の即身成仏と為すなり。」と有る。
この文に依れば、成仏の相好を顕さない凡位の成仏はただ仏のみ知見するところで、外面だけしか見えない凡人には識見出来ない。
また、成仏の相好を具さない生身得忍の位を即身成仏とする場合もある。
(生身得忍とは、現実の身に、真実の理を悟った心の安らぎ)
提婆品に「無量の衆生、法を聞いて、解悟し、不退転を得」との文を受けて、伝教大師が『法華秀句の下』に
聞法解悟得不退転と云うは、是れ則ち円教の三不退なり。所化の即身成仏を顕す」と解釈している。(三不退とは、位不退、行不退、念不退の事)伝教大師は、無量の衆生は成仏の相好を顕さないでも即身成仏を得たとしているのである。また、『金剛般若経』に「もし、三十二相をもって、如来を観るというならば、転輪聖王も、すなわち、これ如来ならん。」
「もし色を以てわれを求むるときは、この人は邪道を行ずるもの、如来を見ること能わざるなり
。」(岩波文庫・114頁)と有る。仏の相好が無ければ成仏ではない、と固執する者は、『金剛般若経』のこの仏制に背くことになる。成仏と云うは、専ら心地を開覚することにある。妄りに相好を求めるものではない。心の本源に達しない者が、歩々に蓮華を踏んで歩いたとしても、それは魔業であろう。もし、相好を具したのが仏であると固執すると、天魔外道が虚空に飛騰したり三十二相を現じて成仏の験しとした場合、法の邪正によらないで、天魔外道を安易に信じるとになろう。(以上要旨) 】(中正論巻第七)


その三。日達上人。

また、浄土宗側からの「汝等、尋常に、耳に此経の一句一偈一品一部を触れ、或は此の経典を読誦す。なんぞ汝が党、先ず成仏せざるや。それ即身成仏とは、現今に仏の相好を具し、成道説法す。当時の道俗、むしろ具相説法すべけんや
との批判を了義日達上人が自著『愍諭繋珠録』に取り上げ、答えています。
上に紹介した日題上人の答えと同趣旨ですが、日題上人の説明を理解する助けになるので、紹介したいと思います。
 諭して云く、『華厳経第十一』に曰く、『十方空にして異なり無し。衆生、分別を起こし、是の如く如来を取る。虚妄にして仏を見ず』已上。
金剛般若経』に曰く、『若し色を以て我を見、音声を以て我を求めば、是の人は邪道を行ず、如来を見ること能わず』已上。
汝、混(ひた)すら、ただ現今に相好を具し、成道説法する、是れを即身成仏なりと謂(おも)うは、正しく色相を以て仏を求めば邪道を行ずる人に当たる。
それ、成仏とは実相の淵底を究盡し、法性の玄極を開覚し、無明の源を窮(きわ)め、真如の智を得るを名づけて仏と為す。
諸仏の法身は色に非らず、声に非らず、空の如く所有無し、衆生を化せんが為めに、八相の応を垂れ、四弁の声を震う。故に色身は仏に非らず、音声また然(しか)なり。もし人、迷惑して、色を以て仏を見、声を以て仏を求めば、此れ邪道を行ずるなり。故にもし、心の本源に達せずんば、たとい眉間に光網を放ち、足下に蓮華を踏むとも、是れ魔業なるべし。
是の故に、『大般涅槃経第七邪正品』には「魔王破旬、化して阿羅漢の身、及び仏の色身を作し、我が正法を壊(やぶ)らん」と説き、『同第三十六陳如品』には、「阿難比丘、沙羅林外十二由旬に在って、諸々の魔の為めに?乱せらる。是の魔衆、悉く自ら身を変じて如来の像となって、諸法を宣説す」と説きたまう。
もし其れ、汝が如くんば、外道の術、破旬の通を悉く皆、仰信し、認めて真仏となさんや。およそ即身成仏に二意あり。
一には、凡夫地より忽(たちま)ちに仏の法身を証し現に八相を具して成道説法す。竜女の如き是れなり。
二には、一生の中に速やかに仏の法身を証して、しかも外に応仏の相好を現ぜざるを、また即身成仏と名づく。三周の声聞の如き是れなり。・・・
何ぞ特(ひと)り、外に相好を具するのみ是れ成仏なりと云わんや。
また、汝が愚眼に落ちざるを以て、末代の凡夫の成仏無しと謂(おも)うこと大邪見なり、大慢語なり。あに、汝が牛目に触れざるを以て、たやすく衆生の成仏・不成を決定することを得んや。
天台玄義第二』に云わく、「鴦掘摩羅は是れ悪人といえども、善性相、熟すれば、即時に度することを得。四禅比丘は是れ善人なりといえども即ち度するに堪えず。当に知るべし。衆生の法は不可思議なり。牛羊の眼を以て衆生を観視すべからず。凡夫の心を以て衆生を秤量すべからず。智、如来の如くにして、すなわち能く秤量すべし。」已上。
普超三昧経第四』に、「仏、闍王の記を授け已(おわ)って、因(よっ)て、舎利弗に告げて曰く。『人人相い見て、相い平相(たくらべはか)る事、莫(なか)れ。相い平相(たくらべはか)るばからざる所以(ゆえん)は、人根見難ければなり。ただ如来のみ有って、能く人を平相(たくらべはか)る。行、如来の如くして人を平相(たくらべはか)るべし。』と。賢者舎利弗、及び大衆会、驚喜し踊躍して此の言を説かく『今日より始めて其の形寿を盡して、他人を観じ、あえて人をして其れがしは地獄に趣き、其れがしは滅度すべしと説かじ。所以は何となれば、群生の行、不可思議なればなり』と。已上。
経釈の如くんば、智、如来の如く、行、如来に同うして、すなわち当に衆生の善悪因果を測り知るべし。
故に舎利弗及び大衆、誓って今より形寿を盡くすまで衆生の堕悪および成仏を測量するべからずと曰(い)う。
然に汝等の意は漆墨の如く、眼は牛羊の如くにして、仏鑑をも恐れず、大聖にも憚らず、たやすく末代の凡夫成仏無しとののしること、誠に彌綸天地の大悪奴なり。
法師品』に云わく、
藥王、若し人あって、何等の衆生か未來世に於て當に作佛することを得べきと問わば、示すべし。是の諸人等は未來世に於て必ず作佛することを得ん。何を以ての故に、若し善男子・善女人、法華經の乃至一句に於ても受持・讀誦し、解説・書寫し、種種に經卷を供養し、乃至、當に知るべし。此の人は是れ大菩薩にして阿耨多羅三藐三菩提を成就す」と。已上。
経文分明に、仏ねんごろに薬王に告げて説きたまわく、『もし人有って何らの衆生が未来世に於いて作仏することを得べしと問わば、まさに此経の一句受持の人必ず作仏することを得んと答うべし、』と。しかるに汝、経文に背翻して則ち「法華受持の人、決して成仏無し」と答う。あに、開権顕実の妙文を捨てて誹謗悪見の麁語に就かんや。・・・
慈覚大師の『蘇悉地経疏』に曰く、「しかるに成仏に於いて二種の義有り。謂はく凡位の成仏、聖位の成仏なり。・・・」と。
凡位の即身成仏は凡情の見を以て都見(とけん)すること能わず、ただ仏のみ之れを見たまう。故に末代凡夫の速疾成仏、寧(むし)ろ、汝が情見に落ちんや。すでに相似六根の証を経に『唯独自明了、余人所不見ただ独りおのずから明了にして、余人の見ざるところなり)』と説きたまう。いわんや分証究竟の悟り、あに凡劣の識見に堪えんや。・・・『滅後末代今時の凡愚、聞法成仏、決して無し』と?(そし)ること、儻(も)し、宿世謗罪の余習に匪(あ)らずんば、むしろ此の悪に堪えんや。悲しむべし、悲しむべし。 】
(愍諭繋珠録巻之六・71紙左~74紙右・原漢文)

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