「21番、撰時抄の前代未聞の大闘争」に関連して。
「実教の行者をあだめば実教の守護神の梵釈日月四天等其の国を罰する故に先代未聞の三災七難起るべし、」
(弘安元年五月「治病大小権実違目」昭定1519・真・57歳)
「日本国の人人は法華経は尊とけれども日蓮房が悪ければ南無妙法蓮華経とは唱えまじとことはり給ふとも今一度も二度も大蒙古国より押し寄せて壹岐対馬の様に男をば打ち死し女をば押し取り京鎌倉に打ち入りて国主並びに大臣百官等を搦め取り牛馬の前にけたてつよく責めん時は争か南無妙法蓮華経と唱へざるべき、」
(建治二年「妙密上人御消息」昭定1168・真無・真偽論無し・55歳)
「むこり国だにもつよくせめ候わば今生にもひろまる事も候いなん、あまりにはげしくあたりし人人はくゆるへんもやあらんずらん。」
(建治元年六月「三三蔵祈雨事」昭定1071・真・54歳)
等と有るように、
日蓮聖人には
「法華経の行者・仏使である日蓮を、一国こぞって迫害誹謗すれば梵天帝釈等が誡めとして、隣国の王をして日本を侵掠せしめる。外敵の侵攻に驚いた上下万民が、一同に法華経に帰依するであろう」
と云う期待があったようです。
日蓮聖人57歳、弘安元年三月「諸人御返事」に
「三月十九日の和風並びに飛鳥同じく二十一日戌の時到来す、日蓮一生の間の祈請並びに所願忽ちに成就せしむるか、将又五五百歳の仏記宛かも符契の如し、所詮真言禅宗等の謗法の諸人等を召し合せ是非を決せしめば日本国一同に日蓮が弟子檀那と為り、我が弟子等の出家は主上上皇の師と為らん在家は左右の臣下に列ならん、将又一閻浮提皆此の法門を仰がん、幸甚幸甚。」
(昭定1479・真・57歳)
とあるように、蒙古侵攻により幕府の要職者が驚き公場法論を設え、結果、一国同帰の運びになるであろうと云う期待をずっと懐かれ続けられて居られたようです。
しかし、公場法論によって、幕府要職や諸宗の指導者達を一挙に帰依・帰伏させると云う願いは、実際には成就しませんでした。
「上野殿御返事」の
「ただをかせ給へ梵天帝釈等の御計として日本国一時に信ずる事あるべし、爾時我も本より信じたり信じたりと申す人こそおほくをはせずらんとおぼえ候」
(昭定1309頁・56歳 )
の文も、上掲の「妙密上人御消息」や「諸人御返事」の文を参照すると、蒙古の侵攻が度重なり、遂には万民が法華経に帰依する事もあるだろう、との期待を語られたものと思います。
「安国論」に引用されている四経の戒告から考えると、日蓮聖人滅後の将来に於いても、一国揃って法華経謗法の状態であれば、再び梵天帝釈等の誡めとしての外敵の侵攻が有り得るでしょうから、「上野殿御返事」の予測は、再往的には日蓮聖人当時だけに限られないとも云えると思います。
日蓮聖人は、
1,順次に弘宣されて行く。
2,一時に帰依せざるを得ない状況が起きて一気に広布する場合があり得る。
との二つを考えられておられたように思われます。
上掲の「妙密上人御消息」の
「日本国の中に但一人南無妙法蓮華経と唱えたり、これは須弥山の始の一塵大海の始の一露なり、二人三人十人百人一国二国六十六箇国已に島二にも及びぬらん、今は謗ぜし人人も唱へ給うらん、」
との文や、「撰時抄」の
「衆流あつまりて大海となる微塵つもりて須弥山となれり、日蓮が法華経を信じ始めしは日本国には一・一微塵のごとし、法華経を二人三人十人百千万億人唱え伝うるほどならば妙覚の須弥山ともなり大涅槃の大海ともなるべし仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ。」
(昭定1054・真)
との文が、「1,順次に弘宣されて行く」を語っていると思います。
上記の「妙密上人御消息」の文に続いての
「又、上一人より下万民に至るまで法華経の神力品の如く一同に南無妙法蓮華経と唱へ給ふ事もやあらんずらん・・・争か南無妙法蓮華経と唱へざるべき、」
とある部分や、建治元年六月の「三三蔵祈雨事」の
「むこり国だにもつよくせめ候わば今生にもひろまる事も候いなん、あまりにはげしくあたりし人人はくゆるへんもやあらんずらん。」
(昭定1071・真・54歳)
も文や、「撰時抄」の
「いまにしもみよ大蒙古国数万艘の兵船をうかべて日本をせめば上一人より下万民にいたるまで一切の仏寺一切の神寺をばなげすてて
各各声をつるべて南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と唱え掌を合せてたすけ給え、日蓮の御房日蓮の御房とさけび候はんずるにや、」
(昭定1052・真)
との文などが、「2,一時に帰依せざるを得ない状況が起きて一気に広布する場合があり得る。」と云うお考えを語っていると思います。
「高僧等我が正法を失うべし、其の時梵釈日月四天いかりをなし其の国に大天変大地夭等を発していさめむにいさめられずば其の国の内に七難ををこし父母兄弟王臣万民等互に大怨敵となり梟鳥が母を食い破鏡が父をがいするがごとく自国をやぶらせて結句他国より其の国をせめさすべしとみへて候。」
(文永十二年「神国王御書」昭定886・真・54歳)
との予言と警告は、金光明経・大集経・仁王経・薬師経の四経に基づいたもので、誹謗正法の国には「他国侵逼の難自界叛逆・・・の難あらん」「七難必ず起らん」との予言は、日蓮聖人当時だけに限るのではなく、現今・将来にも係わるものでしょう。
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