一仏二名論所感

                                

 日隆門流の「一仏二名論」は私にとっては難解なので、浅解を基とした所感になりますが書いてみました。

  

  『法華宗の教えを語る』(東方出版刊)をめぐって

 

 『法華宗の教えを語る』では、

「本仏釈尊のお弟子の中でもトップリーダーの四体の菩薩の最初に出てきているからというのが普通の考えですが、教学の上では、上行というのはそういう四人の一番最初に出てくる上行の意味と、もう一つは九界総在と言って、九界のすべてを上行と言うんだという解釈とがあります。今問題となっている上行菩薩と言うのは、無辺行等の菩薩と一緒に並べられるのでなくて、その総称が上行菩薩なんです。それが九界総在の上行菩薩ということで、一法・一仏・一菩薩・一国土という場合の一菩薩上行と言うのはそういう意味の上行、九界総在の菩薩のことです。」(119~120頁)

と説明し、上行菩薩とは、

 1,本仏釈尊のお弟子の中でも四人のトップリーダーの一番最初に出てくる上行菩薩。

 2,九界総在の上行菩薩。

の二種があるとしています。

 「九界総在の上行菩薩」は、日隆上人の『私新抄』の「自行本因妙の辺は釈尊の因行地涌の菩薩なるべし。覚他の辺は釈尊本因妙地涌の外に、また所化の地涌菩薩之れ有るべし。是れは釈尊報身仏の弟子なり」(第四巻・宗全8・104頁)

との説明にある「自行本因妙としての地涌の菩薩」を指し、「本仏釈尊のお弟子の中でも四人のトップリーダーの一番最初に出てくる上行菩薩」とは「釈尊報身仏の弟子なり」に当たるようです。

 「本仏釈尊のお弟子の中でも四人のトップリーダーの一番最初に出てくる上行菩薩」とは、天台大師が「本眷属とは、本時の説法所被の人なり。下方に住する者の弥勒も識らざるが如きは、即ち本の眷属なり。」(法華玄義巻第7上354頁)と述べ、日蓮聖人も、「我が弟子之を惟へ。地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり」(観心本尊抄)

「令初発道心とて幼稚のものどもなりしを、教化して弟子となせりなんどをほせ(仰)あれば大いなる疑なるべし。」(開目抄下)と述べているところの、久遠釈尊の教化を受けた弟子、末法弘経の付嘱を受けた菩薩であって、釈尊とは別人格的な菩薩ということでしょう。「法華経涌出品」の説相に於いても、地涌菩薩は、釈尊とは別個体的存在で、釈尊の弟子として表現されています。「神力品」に於いても、釈尊とは別個体的な上行菩薩等が末法弘宣を命じられています。

 『法華宗の教えを語る』には、

 「上行菩薩とは、お釈迦さまの本当のお弟子であって、しかも末法の人々を救うために出現される菩薩だということ、・・末法の衆生を救って下さる菩薩ですから、我々にとって他の菩薩と違って直接関連する菩薩なのです」(119頁)と解説しているものの、同書の「日蓮大聖人は上行菩薩の『再誕』ではない」という小見出しの項には、

「言葉として分かりやすいから『再誕』を使うけれども、本来の意義では再誕の表現は適切でないですね。あちらにあったものがボコッとこちらに出てくるのが再誕とするならば、日蓮大聖人の場合はそうではないのです。九界総在の上行菩薩が、人界に人間として応化された人が日蓮大聖人なのですから。」(122頁)

と説明しています。

 この説明が理解出来ないのですが、私なりに推測すると、日蓮聖人を個的な上行菩薩、すなわち本仏釈尊のお弟子のトップリーダーの上行菩薩の再誕とは見ないで、九界総在の上行菩薩の応化と見るようです。

 『法華宗の教えを語る』が云う「九界総在の上行菩薩」の意味合いがよく掴めないのですが、当書では

 「日蓮大聖人と上行菩薩の関係を考える時は、そういう意味の上行菩薩と九界総在の上行菩薩とは違います。九界の当体そのものが上行菩薩。だから言い換えると、一切衆生が本来みな菩薩であることを本質とするということになります。」(123頁)

 「本地の本果仏界が本仏釈尊、本因九界が上行です。・・本地の九界そのものが上行菩薩であり、それ故に『一仏二名』の九界総在、それが上行菩薩なのです。」(120頁)

 「本仏釈尊の十界のうちの九界の部分を上行と言っている。」(121頁)

等と説明しています。

 私なりに推測理解すると、これらの説明は、本仏釈尊己心所具の九界全体を「九界総在の上行菩薩」と見て、本仏釈尊己心所具九界が「日蓮大聖人を末法へ打ち出す本体」(120頁)であるとしているようです。

 日蓮聖人を本仏釈尊のお弟子のトップリーダーの上行菩薩の応生と見る事を認めながらも、「本仏釈尊が下種する時に上行菩薩となる」(122頁)という考えが、私にはなかなか理解できないでいます。

日蓮聖人は、久成釈尊のお弟子の上行菩薩が末法に応生すると云う事を述べていますが、自らの本地が釈尊所具の九界であるとの教示はありません。

 

  『法華宗教学綱要』(株橋日涌師著)をめぐって

 

 『法華宗教学綱要』には、

 【如上の本仏釈尊本化上行は師弟関係にありといえども、其の行体より論ずれば因果一体にして、本仏の本果妙証得の面を釈尊と名づけ、本因妙修行の面を上行と名づくるのである。けだし『十界具足方名円仏』の理に依るのである。而して此の仏、脱益の化導には果正因傍の本果釈尊の相好を現じ、下種の化導には因正果傍の本因上行の相好を示すのである。】(127頁)

と説明してあって、本仏釈尊と本化上行とは、一人格的仏の二面性であり、その二面性を一仏二名と表現する。日蓮聖人は仏が上行の面を採って応生した人と云う見解のように思えます。

 しかし、「涌出品」には、地涌菩薩は、釈尊とは別人格的で、釈尊の弟子として表現しており、天台大師も「本眷属とは、本時の説法所被の人なり。」(法華玄義巻第七上354頁)と述べ、日蓮聖人も「令初発道心とて幼稚のものどもなりしを、教化して弟子となせりなんどをほせ(仰)あれば大いなる疑なるべし。」(開目抄・昭定574頁)と、久成釈尊の教化を受けた弟子であるとしています。 

 「十界具足方名円仏の理に依るから本仏の本因妙修行の面を上行と名づくる」と云う表現は理解できますが、その「本因妙修行の面を上行」が即ち久成釈尊の弟子にして仏勅を受けた上行菩薩の再誕日蓮聖人であると見る事が私には理解困難です。「十界具足方名円仏の理」とは十界互具と同義の言葉だと推測します。十界互具だから、釈尊は菩薩界を具しているわけですが、上行菩薩は本有の菩薩として、釈尊とは他者的存在である見るべきで有ろうと思います。

 

  『本門法華宗教義提要』(増田日紘師著)をめぐって

 

 『本門法華宗教義提要』には、「九界総在の上行菩薩」について、

 「久遠の本地報身本仏は、本果の仏界と、本因の九界とを互具しているから、九界のところを上行と名づけ、仏界の所を釈尊と名づける。いわゆる一仏二名の本仏であって、」(201頁)

と説明し、釈尊所具の九界全体を上行と云うとしているようです。この説明に依ると、日蓮聖人は久成釈尊の弟子である上行菩薩の再誕では無く、釈尊所具の九界全体の再誕であるようです。

 いわゆる日蓮宗では、本仏釈尊は法性化された九界を所具しているので、いわゆる本因本果が常に働いている常修常満の仏であると考える事が一般的だと思います。上行菩薩も己心に仏界を所具していて、菩薩の立場を採っているが内証的には釈尊と同じの高位の菩薩であり、己心の仏界を発揮しきっている菩薩であり、久成釈尊とは別人格的であり、久成釈尊の弟子であると私は理解しているので、「久遠の本地報身本仏所具の九界の再誕である」との説明がなかなか理解できません。

 

  久成釈尊と九界の関係について

 

曼荼羅上では、九界のすべてが地涌の菩薩に摂せられているので、「九界総在の上行菩薩」と言う用語も成り立つと思います。また、釈尊中心にして見れば、釈尊と別体的九界は、釈尊の一念の顕れと言い得ると思うので、釈尊と九界は同体と云い得ると思います。また、大曼荼羅上の九界は仏界の九界としての真価を発揮し、釈尊の手足・支分となりきっている姿であると理解できるので、この視点からも九界は釈尊と別体でありながら、同体であると云い得ると思います。

 『法華真言勝劣事』に

「若し一念三千を立てざれば性悪の義之無し性悪の義之無くんば仏菩薩の普現色身不動愛染等の降伏の形十界の曼荼羅三十七尊等本無今有の外道の法に同じきか」(昭定・309頁)と云って、自界以外の九界を所具しているから、夫れを活用して教導の為め種々の色身を現じることが出来るとしています。

 また『一代聖教大意』にも

「されば爾前の経の人々は仏の九界の形を現ずるをばただ仏の不思議の神変(じんべん)と思ひ、仏の身に九界が本(もと)よりありて現ずるとは云はず。」(昭定・73頁)とあるように、己心所具の九界を法性化している釈尊であるから、たとへば、不軽菩薩のような菩薩の形を採る場合もあるわけです。

 しかし、法華経の説相上では、釈尊とは別体的存在である上行菩薩が妙法五字弘宣の付属を受けた事が説かれていまが、普現色身(六或示現)の一つとして釈尊が上行菩薩として出現するとは有りません。

 無始の十界互具であるとすれば、本有仏界と別に本有菩薩界があり、互いに具しあっているわけですから、釈尊と別体的に四菩薩等が存在すると考えるべきと思います。本有仏界とは別体的な本有菩薩界がなければ、本有無始十界互具論が成り立たないのではないかと思われます。

 

  日隆上人『私新抄・第四』をめぐって

 

 日隆上人は、上行菩薩について、『私新抄・第四』に於いて、「地涌菩薩を以て所化と為す事三身に亘ると云うべきや」の項に、法身・報身・応身それぞれに約して上行菩薩観を述べています。

 「法身に約せば、三千森羅の依正万法悉く地涌菩薩に非らざること無し。故に地涌の菩薩は内証法身支分の眷属と云へり。」(宗全8・102頁)

 「法身仏は事事随縁の当体法爾天然の覚位であり、法身仏の自受法楽の慈悲の振る舞いを地涌菩薩と云う(取意)」(宗全8・102頁)

 「本は法身、迹は地涌菩薩なるべし」

と説明しています。

 この思想は『授職灌頂口伝抄』の

「飢時の飲食、寒時の衣服、熱時の冷風、昏時の睡眠、皆な是れ本有無作の無縁の慈悲にして、利益に非らざること無し」(昭定802頁)とか、また、真言宗で云う大日如来を事法身として一切を事法身の現れと見る考えや、諸明王等を教令輪身や等流身と見る考えと似ているように思えます。

 報身に対する上行菩薩については、

 「報身に約して之れを論ぜば、本因妙は地涌の菩薩なり。本因妙をば経に『我本行菩薩道』と説けり。(中略)故に釈尊本因妙の時も地涌菩薩と成って妙法蓮華経を修行し玉へり。総じて三世諸仏因位の行は皆な地涌の菩薩の修行なり。一切衆生最初下種の時は地涌と顕れ、一切衆生得脱の時は本果妙の釈尊と示し玉へり。」(宗全8・103頁)

 「釈尊の本因妙と地涌菩薩と一体なり。別物に非らず。(中略)自行本因妙の辺は釈尊の因行地涌の菩薩なるべし」(宗全8・104頁)

と説明し、釈尊も自行因行の時分は地涌菩薩として修行したとも、また「覚他の辺は釈尊本因妙地涌の外に、また所化の地涌菩薩之れ有るべし。之れは釈尊報身仏の弟子なり」(宗全8・104頁)

と、釈尊は地涌菩薩の身分として自行すると同時に覚他の行も行ったので、所化としての地涌菩薩も居たはずで、この地涌の菩薩は釈尊報身仏の弟子であると説明しています。

 応身に対する上行菩薩については、

 「次ぎに応身に約して之れを論ぜば、唯、弟子なるべし。」(宗全8・104頁)

 「蓮師聖人『我が弟子、之れを推せよ。地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり』と、これらの経文釈義は、今昔の仏仏毎(ごと)に本化の菩薩を召し出すことは○能化の仏、入滅の後未来の衆生に本門寿量品の首題を持たしめんが為めなり。是れ等の意を以て之れを案ずるに、地涌を以て応身の所化と為す時は一向弟子にして、滅後末法の導師と成らしめんが為めなるべし」(宗全8-106)

と、応身に対せば、地涌菩薩は釈尊の弟子であると説明しています。

 地涌菩薩は釈尊の弟子であるとしながら、釈尊が本因行の身分を顕したのが日蓮聖人であるとする一仏二名論の論拠を述べている箇所を挙げますと、

 「仏とは、『己心是法界、法界即己心』と開して、法界の当体、己心の仏果と成る故に、己心の父、法界九界の子に周遍し、法界の子また本仏の体内に流入して父子の十界一体なりと、父子の約束を成ぜり。此れを当座にして知れるは地涌菩薩にして本化薩?と云われ」(宗全8・376頁)

 「一念三千とは、十界互具なるべし。釈尊の仏界、地涌の九界互具融即して同体なり。本因妙は九界、是れ地涌なり。本果妙は釈尊、仏界なるべし、本因本果九界仏界融即して同体なり。(中略)此の無始の九界とは地涌菩薩なり。無始の仏界に冥合して一体なりと云う。」(宗全8・356頁)

 「一念三千とは十界互具なるべし。釈尊の仏界、地涌の九界互具融即して一体なり。本因妙は九界、是れ地涌なり。本果妙は釈尊、仏界なるべし。本因本果九界仏界融即して同体なり。(中略)此の無始の九界とは地涌菩薩なり。無始の仏界に冥合して一体なりと云う。(中略)籤六に云く『物機無量なれども三千を出でず。能応多しといえども十界を出でず。界界転(うたた)現ずれども一念を出でず。土土互いに生ずれども寂光を出でず。衆生は理具の三千に由るが故に能く感じ、諸仏は三千の理満ずるに由るが故に能く応ず。』と云へり。『衆生は理具の三千に由る』とは、九界所具の三千、是れ地涌所具の三千なり。『諸仏は三千の理満ずるに由る』とは仏界所具の三千なり、是れ釈尊所具の三千なるべし。

能所師弟生仏の不同は之れ有りといえども、釈尊地涌三業互具融即して同体なり。」(宗全8・356頁)

等と論じています。

 十界互具であるから、釈尊と地涌とは互具円融しているから同体であり、法界は全て釈尊の一念の三千であるから地涌菩薩(九界総て)は、そのまま仏(釈尊)であると云う趣旨の説明のように思えます。

 真言宗で云う大日如来を事法身として一切を事法身の現れと見る考えや、諸明王等を教令輪身や等流身と見る考えと類似性が有るように思えます。

 

日蓮宗の河合日辰上人の一仏二名論

 

 日蓮宗に於いても、寿量品にある「六或示現」を根拠として一仏二名論を主張した先師がいます。明治三〇年、日蓮宗大学林の林長に就任し、大正8年第22代日蓮宗管長に就任した河合日辰上人がその著の『一大事因縁記』に、次のように論じています。長文ですが引用します。

 【抑も宗祖の本地に付き上行菩薩と云い釈尊と云う異議あれども其の本源は釈尊なり。何んとなれば、釈尊と上行等の四菩薩とは本地一体不二の身なれども、果徳を顕す時は釈尊となり、此の果徳より分身散体従果向因して上行菩薩等と成り玉うなり。

此の事は観心本尊抄を始め、啓運抄四十一・卅丁、啓蒙十八・五丁、補正記九・四丁等、その他、枚挙に暇まあらず。

故に果徳に約すれば釈尊の再誕。因行に約すれば上行菩薩の再来なれば本源は釈尊なり。

しかのみならず、寿量品の一仏始終と申す法門あり、此れは寿量品の我説燃灯佛等の文、及び或説己身或説他身等の文意によるなり。

故に『日眼女御書』にの玉わく、

「法華経の寿量品に云く『或は己身を説き或は他身を説く』等云云、東方の善徳仏中央の大日如来十方の諸仏過去の七仏三世の諸仏上行菩薩等文殊師利舎利弗等大梵天王第六天の魔王釈提桓因王日天月天明星天北斗七星二十八宿五星七星八万四千の無量の諸星阿修羅王天神地神山神海神宅神里神一切世間の国国の主とある人何れか教主釈尊ならざる天照太神八幡大菩薩も其の本地は教主釈尊なり、例せば釈尊は天の一月諸仏菩薩等は万水に浮べる影なり、」文。

又、『峨眉集十五(二十)』に云く、

「本成より来際に至るまで、番々出世して毘婆尸と曰ひ、及び弥勒と曰う。其の実は是れ一なり。」文。

此の外、一仏始終の証文少なからず、余は推して知るべし。

又、先師所述の億々万劫論と申して吾が祖の本地は億々万劫より不可議に至らざれば知ること能わずと云う意にて名づけられたり。

此の事は予(われ)案ずるに『諌暁八幡抄』に云く、

「天竺国をば月氏国と申すは仏の出現し給うべき名なり、扶桑国をば日本国と申すあに聖人出で給わざらむ、(文の意は月の国にすら聖人出世す、況や明らかなる日の国をや、豈に聖人出現せざらんやとなり)月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明月に勝れり五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり、仏は法華経謗法の者を治し給はず在世には無きゆへに、末法には一乗の強敵充満すべし不軽菩薩の利益此れなり、各各我が弟子等はげませ給へはげませ給へ。」文。

又、『寺泊御書』に云く、

「日蓮は即ち不軽菩薩為る可し、」等云々。

この八幡抄の文に上行菩薩と云うべきに不軽菩薩との玉う、爾り而うして、其の不軽菩薩は豈に異人ならんや釈尊是れ也。

故に不軽品の億々万劫不可議の文に依りて億々万劫論と名づけて宗祖は釈尊の再誕なること決定せられたることを顕せるなるらん。

又、開目抄等の祖書に宗祖無問自説して三徳具足の事をの玉うこと、其の数を知らず。此等の文を深く考えて予先年(明治十年十一月夜半)豁然と大悟せり。故に今筆して(書き置きて)後昆(のち)に垂れんとするなり。】(一大事因縁記)

 

 河合日辰上人が自説を証する書として挙げているので、『録内啓蒙』を見てみると、

「末法行儀抄」の「経に四菩薩を皆金色三十二相無量光明とあるから、相好は仏形である。此れ菩薩形にておわします故に菩薩は因分也。仏は果分なり。しかるに法華経聴聞の者、皆菩薩なり。さて本門寿量の意にては、法華経聴聞の者は是れ因分の菩薩身なれども全果分の仏身なれば、是の意を顕して、菩薩身を改めず即ち仏形にておわします。蓮華因果の法門これ思うべし(取意)」と有り、 また、『啓運抄』の39巻26丁の「此の菩薩の徳行は唯仏与仏の境界なり。下よりとは等覚已還なり。されば記に弥勒の知らざるを顕すと釈せり。唯仏与仏の境界の境界ならば上品の寂光に住し、一仏二名の等覚の菩薩なること、此の釈にていよいよ極成するなり。」を引用し、また、続いて『大智度論』の巻第33の「法華経に説くが如き地涌の菩薩等は皆是れ内眷属、大眷属なり」を挙げ、(大智度論を見ると、内眷属とは親しく給仕した者。舎利弗等の聖人や弥勒等の大菩薩を大眷属と説明しています)続いて、日朝上人の『観心本尊抄見聞巻八』の「上行菩薩は、果分の上の立行、八葉の曼荼羅に於いて四仏四菩薩の内、釈尊の本因本果の因分なり、果海の上の大慈なるが故に上行菩薩と名づく。・・ただ釈尊の内証を弘むるのみに非ず一切の諸仏の内証甚深の妙法を弘むる菩薩なり、八葉に居する時は四仏と云われ三世の応迹に赴く時は四菩薩と云わる」の文を引用して有ります。

 しかし、『録内啓蒙』は、「上行菩薩はすでに仏の内証を得ているが因行の姿すなわち菩薩の形を採り続けている、悟りの境界、位はすでに妙覚であるから仏であって、仏が菩薩と云う因行の姿を採っているとも云える」と云う趣旨がくみ取れますが、「上行菩薩は釈尊の再誕」とまで云っているとは受け取れないと思います。

 日朝上人は『観心本尊抄見聞巻七』に

「此の四菩薩こそ五百塵劫より已来た教主釈尊の御弟子として初発心より又他仏に付かずして二の門を踏まざる人々なりと見えて候云々」(宗全16巻333頁)とあるので、河合日辰上人の引用部分に「八葉に居する時は四仏と云われ三世の応迹に赴く時は四菩薩と云わる。」と記してあっても、やはり「上行菩薩は釈尊の再誕」との意味は無く、上行菩薩を釈尊とは別体的存在としていると思います。

 『啓運抄四十一・卅丁』と『峨眉集』とは所有してないので検討できませんが、河合上人が引用している『峨眉集十五』の意も三世に番々出世する仏は、寿量品から云えば久遠釈尊の垂迹であるとの文意か、あるいは諸仏の悟りは同一であると云う文意であって、一仏二名論の文証にはならないようです。

 『諌暁八幡抄』の文意も、「上行菩薩は釈尊の再誕である」と云う文意は無いと思われます。

 また『寺泊御書』の文意は、「日蓮の強説の布教すなわち折伏の弘教の化儀は不軽菩薩の強説の布教と同じである」と云う意味であって、「日蓮は上行菩薩であるから釈尊の再誕である」と云う趣旨では無いと思われます。

 『日眼女造立釈迦仏供養事』には、上行菩薩の本地は釈尊としているので、上行再誕の宗祖の本地は釈尊であると云う見方の根拠になり得るようにも思えますが、しかし、上行菩薩を釈尊の垂迹とする上行菩薩観は、上行菩薩を釈尊の弟子と明記している『地涌品』『開目抄』『観心本尊抄』と相違している上行菩薩観です。

そこで『日眼女造立釈迦仏供養事』の文意を、『地涌品』『開目抄』『観心本尊抄』に於ける上行菩薩観と整合性するように、私は次のように解釈すべきではないかと思います。

 上行菩薩や諸菩薩・諸天の己心に具している仏は、『本尊抄』に「己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり」であるから、釈尊と内証同の諸菩薩・諸天の衆生救護の慈悲活動は、それぞれの所具の仏心(己心の釈尊)が発動しているものと云えましょう。諸菩薩・諸天の慈悲活動は「己心の釈尊」という同根の働きと言い得ると思います。その所を『日眼女造立釈迦仏供養事』では、釈尊の垂迹と表現されていると解釈すれば良いのではないかと思っています。

 

『法華宗の教えを語る』に於いて、一仏二名論の根拠は「一法・一仏・一菩薩・一国土」との考えに基づいて居ると説明していますが、「一法・一仏・一菩薩・一国土」についての具体的な説明がありません。そこで、『法華宗教学綱要』を読むと、206頁に、

 【「『本尊抄』に「今本時娑婆世界」以下に本時の一法一仏一菩薩一国土を解説し、】と指摘して、日隆上人の『弘経抄』の「本門の本尊とは堅く仏菩薩の所居の土を簡び、諸仏を廃して久遠の釈尊(一仏)を取り、迹化他方等を廃して上行(一菩薩)を取り、界内外の諸浄土を廃して本国土妙(一国土)を取って、本果妙の釈尊、本因妙の上行と依正互融する界如三千事円の妙法蓮華経(一法)の本尊は十方界の聖衆久遠下種の総本尊なり」の文を引用し、また243頁に

【『本尊抄』の「今本時娑婆世界」以下に示された・・・本門の一法とは本因果国十界互具依正互融の事具一念三千の大法であり、本門の一仏一菩薩とは本因本果常修常証常顕常満の本仏釈尊と本化上行菩薩である。本門の一国土とは本門正報の人たる釈尊上行の所住たる久遠の娑婆世界である。】

と解説しています。この解説も私には難解で、やはり「一法・一仏・一菩薩・一国土」との考えが、一仏二名論や日蓮聖人は釈尊の本因妙面の応生と言う考えの論拠になり得るのか解りません。

 この「一法・一仏・一菩薩・一国土」と云う見解は、『三世諸仏総勘文教相廃立』の、

 「此の三如是の本覚の如来は十方法界を身体と為し十方法界を心性と為し十方法界を相好と為す是の故に我が身は本覚三身如来の身体なり、法界に周遍して一仏の徳用なれば一切の法は皆是仏法なりと説き給いし時(中略)四土不二にして法身の一仏なり十界を身と為すは法身なり十界を心と為すは報身なり十界を形と為すは応身なり十界の外に仏無し仏の外に十界無くして依正不二なり身土不二なり一仏の身体なるを以て寂光土と云う是の故に無相の極理とは云うなり」(昭定・1690頁~1692頁)

との教示や、『今此三界合文』の

 「また(懐中に)云く『釈迦如来は是れ三千世間の総体、無始より来、本来自証無作の三身、法々皆具足して欠減有ること無し』と。文に云く『如来秘密神通之力』と。観普賢経に云く『釈迦牟尼仏を毘盧遮那遍一切処と名づけ、其の仏の住処を常寂光と名づく』文。」(昭定・2292頁)

との教示に有る「十界の外に仏無し、十界は仏の身体」とか「釈迦如来は三千世間の総体」とか云う思想と類似しているようにも思えます。

 『清水龍山著作集・第一巻』に

 「当に知るべし、文上塵点は能顕の教相にして、文底無始は其所顕の実義なることを、夫れ竪に時間的には、無始無終三世常住、横に空間的には、十方法界・三千依正に周遍せる、本有無作の一大円仏実在す、この仏たる既に法界三千をもって相と為し(応身)性と為し(報身)体と為す(法身)故に法界一法として、此の本仏の妙体ならざるはなく、三千一塵として此の本仏の妙用ならざるはなし、本仏即法界、法界即本仏にして、法界は不変真如の本仏・本体・実在界より随縁縁起したるものにして、随縁真如の法界三千の現象界は、即是本仏の全体起用なり、」(39頁)

とありますが、「一法・一仏・一菩薩・一国土」の思想や上行菩薩を仏の妙用の一面とする一仏二名論は、清水龍山師の云う「三千一塵みな本仏の妙用。法界三千の現象界は、本仏の全体起用。」との思想と類似しているように思えます。

ちなみに、清水龍山師のこの本仏観については、浅井円道教授が「聖人の本仏観は事法身であると結論する清水龍山師の本仏観は密教の大日如来に堕ちたことになる(取意)」(清水龍山著作集・第一巻「解説」421頁)と評しています。

 一仏二名論を概観して見ましたが、上行菩薩は久成釈尊の本弟子であると見るところの上行菩薩観を主にすることこそ日蓮聖人の上行菩薩観に契うものだと思われます。


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