無始仏の論理その4。

啓蒙日講上人。

『録内啓蒙』の「巻之五」に、
久遠実成に初めが有るか無いか?についての天台宗の論義を次のように紹介しています。

「初めを論じない」とする見解の論拠は、

『法華文句』の
「秘密とは、一身即三身なるを名づけて秘と為し、三身即一身なるを名づけて密と為す」(文句巻第九下)についての妙楽の記に
「初めの釈は、三身の法体は法爾として相即するに約し」と有り、この文が、法体法爾の無始の三身で有ることを示している。無作の三身と言うことも是の文より起こっている。
もし始成の義があるなら法爾無作とは言わないであろう。

また『法華文句巻第九』
寿量品の如来を「無量にして而も量」言って、弥陀の「実に有量にして而も無量」に相対している。
寿量品の如来は実に無始であるが五百塵点を説いているのは、天人阿修羅の近情の執を破する為めである。
三身の中に就いても別して自受用報身に就いて無始の義を成じ、他経の自受用と簡異する深旨が有る。

安然の『真言宗教時義』にも
「衆生界・仏界とも倶に本有」とも釈し、「本来常住の故に果分一仏と名づけ、始覚始成の故に因分異仏(開覚してしまえば一切の諸仏同体の一名であり、因行時はそれぞれ別名の存在である)」とも言っている。
故に其の始めを論じない。


「始めを論じる」とする見解の論拠は、

修因果徳したと説く経文釈疏の現文を証拠として、久遠の時、始成した事は明かであると弁明し、本仏行因の時は尚を菩薩にして本果の時、開覚が成就したのである。
故に、法体法爾とも無作三身と云う事は、本果の時に証する処の悟りに従へて名を立てたものである。

修顕得体の始めなければ無因有果の義になってしまう。

等と両見解を紹介し、両見解とも一辺を執した偏論であると評しています。

さらに、
転迷して開悟しない本有の仏が有るか否かは十四不可説の一つである。
もし有るとすれば、最初無教の仏、あるいは自然覚了の仏が有ることになり、大いに教理に違す。

また一方、単に塵点の先、従因至果の初めある見解に執すると、
釈尊も最初成道の時は新成の如来で、顕すべき本も無く、初めて果後に悟ってから、無作三身などの名を立てることになる。
そうすると今日の始成の如来も替わることがない。
などの難点が生じる。故に有始の義に執するのも不可である。

と評し、

「釈尊事成の久遠に寄せて、本覚を指的し始覚を点示する時は、直入果海(ただちに果海に入る)の深旨、著明にして衆生開覚の要路なり。(巻之五・41~2紙)

と論じています。

また、
「もし本覚を談ぜずんば始覚所帰なけん。もし始覚によせずんば何に依って本覚にもとづかん。一も闕いては妙法の全体にあらず。」
(32紙)
とも論じていますので、啓蒙は、久遠の始覚を認め、その始覚は本覚を顕現したのであるから、始覚に即して本覚であるとする見解のようです。

この見解は

「凡そ生死の無始を沙汰するに、事無始、理無始の異あり。今、十界を論じるに就いても、迹門は理性無始、本門は事成無始なり。」(45紙)

とある本門は「事無始」、すなわち十界の存在は無始で、事に即して理法もあると云う法界観が基になっているようです。

また、

「釈尊事成の久遠に寄せて、本覚を指的し始覚を点示する時は、直入果海(ただちに果海に入る)の深旨、著明にして衆生開覚の要路なり。・・・一代説経の中に、釈尊より久しき仏なければ、これに託して無始仏界本有の深旨を談ずる時は、十界三千の依正さながら無始の覚体と顕れ、我等の如き迷位の衆生の色心、全く釈尊と同等なり。而も三世常住に本因の行菩薩道、本果に契当する道理なれば、始覚も本有の始覚と顕れ、始本不二の微旨(妙旨?)、一法の二義にして無始にして始、始にして無始の三世不改の不思議一の本迹なり」(巻之五・41~2紙)
と論じています。

この文のおおよその意は

「釈尊の始覚は無始本覚を顕したのだから無始本覚の仏となったと云える。衆生に久遠所証の三身を具足して釈尊と同体である。これは速疾頓成の衆生開覚の要路である。釈尊の身土に攝入された十界三千の依正は本有無始の仏界となった。衆生の色心も釈尊と同等となった。
衆生も釈尊と同一心性であるから釈尊と同じく久遠であって、生仏一体にして九界の迷いが本因と云われ、無始の古仏を具足し、無始の古仏もまた九界を具えて十界平等である。
無始の衆生が本因の菩薩行を修すると同時に所具の無始の仏界が顕現するのだから、無始にして始、始にして無始と云う関係である」


との意味だと思います。

これは衆生の開覚は、無始にして始、始にして無始であると論じているのですが、これに例していえば、釈尊も本因の菩薩行を修すると同時に所具の無始の仏界が顕現したのだから、無始にして始、始にして無始の仏であると云う趣旨も含まれている説明と思います。

「釈尊より久しき仏なければ」(巻之五・41紙)
とあるので、啓蒙は釈尊を最初仏と見ているようです。

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