山崎齋明師の回答について

私のHPの「小論集」に『山崎師の霊断師会批判の問題点』を掲示してありますが、それに対しての山崎師の回答が『地涌塾報特集号』に発表されました。山崎師のその回答について三点ほど小考してみました。

再び、倶生神をめぐって。

山崎師は三友健容博士の次のようなコメントを提示しています。
【 「生まれつき背後に結びついている」というのが、守護することであるというならば、悪人に生まれつき背後に結びついている倶生神は悪人を守護する神ということになるが、あくまでも個人の善悪の諸行を天に報告する神が原意であろう。
すなわち長尾氏は、『世記経』を取り上げて(「漢訳仏典における「倶生神」の解釈」『パーリ学仏教文化学』58頁)、この記述がディーガニカーヤ(DN)にないことから、DNのあとに増補されたものとし、 『世記経』の伝承者とは異なる思想的立場の求道者たちがいて、 その人々は『守護鬼』の存在を否定していると述べ、 『薬師経』の伝承者たちが、『世記経』の同じ立場に立つているとすれば…そのひとの守り神だということになる。
と疑義的に推定している通り、ショーペンの言う「生まれつき背後に結びついたデーヴァター」が、閻魔に報告するという立場から守護する神に変わるとすれば、悪人にもデーヴァターがあるのだから、このデーヴァターは悪人も守護するという矛盾に突き当たることになる。それゆえ、ショーペンがどういおうと勝手だが、本来のデーヴァターは鬼神などに邪魔されることなく善悪の行為をあやまりなく記録し閻魔に報告する者というのが原意であることは明らかである。

倶生神について日蓮聖人は、 人には必二の天、影の如にそひ(添)て候。所謂一をば同生天  と云、二をば同名天と申。左右の肩にそひて人を守護すれば、  失なき者をば天もあやまつ事なし。況や善人におひてをや。さ  れば妙楽大師のたまはく、必仮心固神守則強等[云云]。人の  心かたければ、神のまほり必つよしとこそ候へ。『乙御前御消息』 (定遺一〇九八頁)
同生同名と申て二の天、生れしよりこのかた、左右のかた(肩)に守護するゆへに、失なくて鬼神あだむことなし。『種種御振舞御書』(定遺九八四頁)
日本国を捨て、同生同名も国中の人を離れ、天照太神・八幡大菩薩、いかでかこの国を守護せん。『曽谷二郎入道殿御報』(定遺一八七五頁)といわれている。
『乙御前御消息』に仰せの「失なき者をば天もあやまつ事なし」の「守護」というのは、鬼神などに邪魔されず、そのひとの善悪諸行すペてを誤りなく天に報告するという意味での守護であって、霊断の「倶生霊神符」をもっているひとを無条件に守護するということでは断じてない。
このように理解すれば、おのずから、『曽谷二郎入道殿御報』の文章は「同生同名も国中の人を離れ」たがために、正確に天に報告することができず、天照太神・八幡大菩薩も善悪の判断区別ができないのだから、どうしてこの国を守護することができようか、ということになる。(以上、三友博士のコメント)】

三友博士のコメントによると、長尾氏が「『薬師経』の伝承者たちが、『世記経』の同じ立場に立つているとすれば…そのひとの守り神だということになる。」と論じているそうですが、この「倶生神はそのひとの守り神だ」と言う思想の系譜に『華厳経入法界品第三十四之一』や天台大師・宗祖は立っていると言えます。
三友博士は『乙御前御消息』や『種種御振舞御書』に示されている倶生神の守護は「鬼神などに邪魔されず、そのひとの善悪諸行すべてを誤りなく天に報告するという意味での守護である」と限定していますが果たしてそうでしょうか?。
天台大師の「心は是れ身の主なり。同名・同生天は是れ神、能く人を守護す。心固ければ則ち強し、身の神も尚爾り。況んや道場の神をや。」(止観第八下)
との教示は、「観病患境」の中の文で「若し、善く四三昧を修して、調和所を得れば、道力を以ての故に必ず衆病無し、設ひ少しく違反すとも冥力扶持して自ずから当に銷癒すべし。仮令(たとひ)、衆障峰起すとも当に死を推して命に殉ふべし、残生余息、誓って道場に畢る、捨心決定せば何の罪か滅せざらん、何の業か転ぜざらん。・・・心は是れ身の主なり。同名・同生天は是れ神、能く人を守護す。心固ければ則ち強し、身の神も尚爾り。況んや道場の神をや。・・・但だ一心に三昧を修すれば衆病銷す。」(国訳一切経諸宗部三・323頁)
と教示している中の文です。
池田魯参教授が次のように現代語訳しています。
「もしも四種三昧を行じて、あるべきように調和するときは、修行の力によって必ず病はなくなるであろう。仮りに少しく違反するようなことがあっても冥助を受けて自然に癒えることになるであろう。たとえ諸障が蜂起するようなことがあっても、死を賭して仏の教えに殉ずる決意で、残された命を道場で終えようと誓い、すべてを捨てる覚悟で心を決めれば、どんな罪も滅しないはずはなく、どんな業も転じないはずはないのである。陳鍼や開善がそうであった。云云。四大や五臓の病も調い治らないことはないはずである。たとえば小鬼が帝釈天の堂を敬い避けるように、道場の神が偉大であるから病は妄りに侵入することはないのである。また城主が剛ければ守る者も強く、城主が弱ければ守る者は逃げ出すようなものである。
心は身の主であり、「同じ名の、同じ生まれの二人の天の神が人を守護している」のであるから、心が固いとこの身の二神も同様に強くなるのであり、道場の神まで強くなるのである。例えば、『大智度論』で精進を釈して、鬼が五処に黏ずること云々。を示しているようなものである。ただ一心に三昧を修めれば諸病は治るのである。」
(『詳解摩訶止観現代語訳篇』547頁)
天台大師は、倶生神の守護を衆病・衆障の除去を助けてくれる働きであると見ていたことがわかります。
『乙御前御消息』に見える倶生神の守護も「鬼神などに邪魔されず、そのひとの善悪諸行すべてを誤りなく天に報告するという意味での守護である」と三友博士のように、単なる伝達神に過ぎないと限定的に見ることは文意に外れていることが引用の文の前後を読めば分かります。
この文の前後を挙げれば、
「羅什三蔵は法華経を渡し給しかば、毘沙門天王は無量の兵士をして葱嶺を送し也。道昭法師野中にして法華経をよみしかば、無量の虎来て守護しき。此も又彼にはかはるべからず。地には三十六祇、天には二十八宿まほらせ給上、人には必二の天、影の如にそひ(添)て候。所謂一をば同生天と云、二をば同名天と申。左右の肩にそひて人を守護すれば、失なき者をば天もあやまつ事なし。況や善人におひてをや。されば妙楽大師のたまはく、必仮心固神守則強等[云云]。人の心かたければ、神のまほり必つよしとこそ候へ。是は御ために申ぞ。古への御心ざし申計なし。其よりも今一重強盛に御志あるべし。其時は弥々十羅刹女の御まほりもつよかるべしとおぼすべし。例には他を引べからず。日蓮をば日本国の上一人より下万民に至まで一人もなくあや(失)またんとせしかども、今までかう(斯)て候事は一人なれども心のつよき故なるべし、とおぼすべし。」です。
口語訳は【法華経は女子に対しては、暗夜を行く時には灯火となり、大海を渡る折は大船となり、又、怖しい場所では護となると誓はれてゐる。羅什三蔵が中國へ法華経を渡された時、毘沙門天王は無数の兵士を遣してこの三蔵を守り、彼の葱嶺の険を送られたと云ひ、又道昭法師が中国の曠野で法華経を読誦した時は、数限りない虎が現れて護ったと傅へらる。御許も亦羅什等のやうに、神佛が守護して下さるに相違ない。地には三十六神があり、天には二十八宿があって守られるばかりではなく、誰しも人には必ず二神が影の如く添うてゐる。即ち同生天と同名天がそれである。その二神が人の左右の肩に居られて守護するから、罪の無い者は天も罰することは出来ない。まして善人に罰無きことは言を待たない。それ故、妙楽大師は「人の志操が堅ければ堅い程、神の守護は必ず強い」と述べられ
てゐる。斯く申すのは、御許の為めに申すのである。日頃の法華信仰の御志は今更云ふまでもなく堅固であるが、其よりも尚一層強く信仰せられよ。其時は愈々十羅刹女の御守も強くなることゝ確信されるがよい。その志堅ければ神佛の守護も強い例を、遠く他人に求めるまでもない。この日蓮をば、日本國の上一人より下萬民に至るまで、一人も残らず害しようとしたが、今日まで、斯様に無事で居ることは、日蓮一人ではあるが、法華経に捧ける心が強いから、神佛が守護されたものと思はれるがよい。】(『日蓮聖人遺文全集講義第十六巻』199頁)と訳されています。そして注に「④ 華厳経(旧訳巻四十四)『入法界品第三十四之一』に『人の生に従いて、二種の天有り、常に隨って侍衛せり。一には同生と日ひ、二には同名と曰ふ。天は常に人を見るも、人は天を見ず』とあり、聖祖はこれに依られたものらしい。」と注記しています。
三友博士は「日本国を捨て、同生同名も国中の人を離れ、天照太神・八幡大菩薩、いかでかこの国を守護せん」『曽谷二郎入道殿御報』(定遺一八七五頁)
の文意を切り文して恣意的に読んでいます。
この文は、「日本国の挙ぐるところの人々の重罪はなお大石(だいせき)のごとし。定めて梵釈(ぼんしやく)、日本国を捨て、同生同名(どうしようどうみよう)も国中の人を離れ、天照太神(てんしようだいじん)・八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)、いかでかこの国を守護せん。」とある部分です。
「若し爾らば此の大菩薩は宝殿をやきて天にのぼり給うとも、法華経の行者日本国に有るならば其の所に栖み給うべし。」(諌暁八幡抄1849頁)
「正直の人の頂の候はねば居処なき故に栖なくして天にのぼり給いけるなり、」(四条金吾許御文1823頁)
との御文を参照して読めば、「梵天や帝釈や倶生神も日本国を捨て去り、倶生神も各人から離れ守護を止めてしまう。同様に、天照大神・八幡大菩薩も国を守護することをやめてしまうのである」との文意で、いわゆる神天上の一片を述べている箇所です。そもそも「倶生神の報告伝達を受けなければ天照大神・八幡大菩薩は国を護らない」と言うような天照大神・八幡大菩薩観を宗祖が懐いていた文証は無いでしょう。
だから、『日蓮聖人御遺文講義・18』においても、この箇所を
「これを日本国の人々の謗法の重罪に比較すれば、大石と軽毛とのおおいなる異があるにおである。かく正法を国民が謗るために、正法守護の梵天や帝釈も日本国を捨て、一生身に添うて守って下さる同生同名神も、国中の人を離れ、天照大神・八幡大菩薩もこの国を守護しては下さらないである。(以上は謗法罪の重科なることを述べ、諸天善神、守護せざることを明かされたのである)」(373頁)と意訳しているのでしょう。
【 「同生同名も国中の人を離れ」たがために、正確に天に報告することができず、天照太神・八幡大菩薩も善悪の判断区別ができないのだから、どうしてこの国を守護することができようか、】というような文意ではありません。
三友博士は【「生まれつき背後に結びついている」というのが、守護することであるというならば、悪人に生まれつき背後に結びついている倶生神は悪人を守護する神ということになるが、あくまでも個人の善悪の諸行を天に報告する神が原意であろう。】と述べていますが、守護の働きには「常に随って、その者が善道に向くように教導しようとしている」こともあると考えるべきだと思います。と言うのは、倶生神が正神であれば、「我常に衆生の道を行じ道を行ぜざるを知って度すべき所に随って為めに種々の法を説く」との仏の精神や『大智度論巻第八』の文「今、十方の諸仏は、常に経法を説き、常に化仏を遣わして、十方世界に至り、六波羅蜜を説きたまへども、罪業の盲聾の故に、法の声を聞かず。是(ここ)を以ての故に尽く聞見せず、復た聖人は大慈心有りと雖も、皆な聞き皆な見しむること能わず。若し罪滅びんと欲し、福将(まさ)に生ぜんとすれば、是の時に乃ち仏を見、法を聞くを得ん。」に見える「罪業の者をも何とかして教導してやろう」との仏の慈悲に倣って、受け持ちの者が悪人ならば、その者を善導しようと努めるはずだからです。
山崎師が日蓮聖人御遺文を拝読すると、同名同生の二神は、「同名同生の天是れ能く人を守護す」と「天にうたへまいらせ候」と説かれているが、この守護とは梵天帝釈日月に知らせることにより間接的に善行者の守護となる「告げ知らせる神」と考えられる。】と述べて、三友博士と同じく倶生神を「告げ知らせる神」すなわち単なる伝達神としていますが、私が上に述べたように、天台大師や日蓮聖人は、倶生神を各人を守護する身の神としているし、『華厳経・入法界品第三十四之一』に『常に隨って侍衛せり」と言って、各人を侍衛すなわち守護している神と言っているのです。
また山崎師は【また、生まれると同時に身に添うている神であるならば「倶生神符」をわざわざ身に着ける必要は無い、ということになる。】と言っていますが、宗祖や直檀が倶生神をお守りにして身に着けた事跡はないのであるから、「必ずしもお守りの形にして着ける必要性はない」と前にも私は書いています。しかし、お守りと言う形にして身に着けることを強いて否定するまでも無いと私は主張しているのです。
月に一度でも倶生神符を受けに寺院教会結社に集まり、御本尊の前で読経唱題し、法話を聴聞することになる。お守りと言う形にして着帯すれば「身の神である倶生神が常に護っていてくれるのだ」との意識を忘れにくくする。
などの利点があるので、お守りと言う形にして身に着けることを強いて否定するまでも無いと私は主張しているのです。
山崎師は【 次に「倶生神」。高佐日煌師は、戦前から「倶生神」について述べている。『聖衆読本』には、我身の無事安泰に就いては、寸時も離れず傍に附いて御守護下さる、倶生霊神にお任せして置けば宜しいのであります。此の  守護神は太神が我等を生み給うと共に遣わされて云々とあり、『皇道仏教読本』には、世界の群類は理として申せば天之御中主神の胎中から生まれたもので、伊弉諾、伊弉冊の二柱はその神業を直接に行われた遠祖であってこの御神を倶生の神と申す(一二四頁・拙著一五一頁)とある。このように、高佐師がいう「倶生神」は、天之御中主神もしくは天照大神という本体・根源・創造主から生まれたものである。高佐師がいう「倶生神」と、日蓮聖人御遺文に記載された「倶生神」と名が同じだと関係があるように錯覚しているかもしれないが「法華思想の範疇の倶生神」と、「創造主から生まれたという外道の倶生神」とは天地の相違で両者は全くの無関係である】といって倶生神符を貶していますが、霊断師会の『新日蓮教学概論』にも、こんな馬鹿げた倶生神観を陳述していないし、倶生神符を配布している教師の中にも、こんな馬鹿げた倶生神観をを懐いている者など居ないでしょう。
言うまでもなく戦時中の時代迎合の高佐師の主張は大いに批判されるべきでものです。高佐師も戦後は転向して、馬鹿げた倶生神観を披瀝主張していないし、現在の霊断師会においても高佐師の戦時中の倶生神観を継承していないでしょう。もしも、現在においても霊断師会や倶生神符を配布している教師が、戦時中の高佐師の倶生神観のもとに倶生神符を配布していならば、その倶生神観を大いに貶しても良いでしょう。しかし、戦時中の高佐師の倶生神観のもとに倶生神符を配布している者など居ない現在において、戦時中の高佐師の倶生神観を持ち出して倶生神符そのものを貶すことは大いに筋違いでしょう。


道後の真如をめぐって

山崎師は【九識は「道後の真如」であるから、九識に理、観行、乃至究竟の六即の区別があるのではない。・・・村田師のいう「性としての状態の九識、乃至、完全に発現した状態の九識すなわち妙覚究竟の無分別智光の別がある」という主張は、この天台妙楽釈と整合しない。】と言っていますが、
『法華玄義巻第五下』にある「九識は是れ道後の真如なり」と語句は『摂大乗論』の九識観を述べているものです。
「九識は是れ道後の真如なり」の文は、『法華玄義巻第五下』において、『摂大乗論』の九識観を批判する文段中の言葉で、
「九識は是れ道後の真如なり。真如は無事、智行の根本種子なり。皆、梨耶識の中に在り、熏習成就して無分別の智光を得て真実の性を成ず。是れ則ち理乗は本有、随得は今有なり。道後の真如は方に能く物を化す。此れ豈に縱の義に非ずや。」(天全玄義三・594頁)
と言って、「摂大乗論は、九識を道後の真如としている。真如は、修行前では惑に覆われて功用を起こせないから無事であるが、智行の種子は梨耶識の中に在って、修縁の智行を修して惑の垢を除けば、無分別の智光を妙用を顕す。これは、道前の真如は本有で、一切の行願の熏習によって真如と相応することは今有で、無分別智を得てから衆生を教化することが出来ると云うのであるから、是れは縱の義である」と、修性別無しとする円教の立場から批判している文段です。
痴空の『玄義講義』では「摂論は、真如は本理智相融し修性別無しと雖も、迷に在って未だ修練せざれば惑に覆るるが故に其の用を起こすこと能わず。若し縁修の智行之れを錬磨して惑の垢を除けば、本識の解性を資けて無分別智光を発し、理智修性を融じて功用の体と為すと明かす。是れ則ち因に在っては理は用を起こすこと能わざれば、起信論の真如迷に在っては縁に随って染用を起こすと明かすに異にして、やや唯識の真如無為は諸法を作らずと立つる似たり。・・・摂大乗は因は則ち理智修性別異にして、果に至れば則ち融通す」
(天全玄義三・595頁)
と、「摂大乗論」の立場が「修性別異・縱の義」であることを補釈しています。
大宝の『玄義講述』が「摂論の真如とは、真如無為にして全く随縁起用無し。是れを道前の真如と名づく。行願熏習して無分別の智光を得るときは則ち真如と相応す(理智融妙)。真如既に智光と相応するときは則ち能く化他の用を起こす。是れを道後の真如方に能く物を化すと云う。応に知るべし。道前の真如は則ち惑に隔てられて全く起用無し。道後の真如は則ち智と融して方に化用を起こす。是の故に因の時は理智隔異、果の時は理智融通す。」(天全玄義三・596頁)
と、「摂大乗論」は、果に至らない中は、真如と相応しないので、九識が働いていないとする立場である、と補釈しています。

理性・道中の真如

修性不異の立場である天台大師は、
「黎耶の中に此の智慧の種子有らば、即ち理性の無分別智光なり。五品は観行の無分別智光、六根清浄は相似の無分別智光、初住より去るは分真の無分別智光、妙覚は究竟の無分別智光なり。」(天全玄義三・659頁)
とも述べ、「理性の無分別智光(理性の真如)」→「観行の無分別智光(道中の真如)」→「究竟の無分別智光(道後の真如)」と、仏性の顕現状態の段階を語り、凡夫所具の九識も「理性の無分別智光(理性の真如)」であり、名字即の位は仏性顕現の初めの状態で「道中の真如・道中の無分別智光」であるとしています。「道中の真如・道中の無分別智光」は九識の全顕ではないと言えるが、九識(無分別智光)が全く発現していないとは言えないと云う考えです。
山崎師は【「九識=無分別智光=仏性」と見ているようだが、もし「九識=無分別智光=仏性」と主張するならば文証を示して論証すべきである】といっていますが、上掲の『天全玄義三・659頁』の文が、その文証となります。
日本天台の忠尋の『法華文句要義聞書・第五』に於いて、止観修行し初めの心意識が六識か九識かの問題を取りあげ、
「釈に云く、『中道を縁じて菩提心を発す。此の心を亦、中道理心と名づく。中道理心とは第九識なり。・・・止観の発心は初発心の時の意と波羅蜜と相応すと』文。既に最初発心の時、諸波羅蜜と相応す、諸波羅蜜相応は即ち是れ第九識仏心なり。」(大日本仏教全書16・119頁)
と云う見解を挙げていますが、天台教学においては、円教中道の修行に於いては、九識は因行中(修行中)にも働いていると認識していたことが分かります。
また、ついでに言えば、『日女御前御返事』(偽書論有り)に「九識心王真如の都」(昭定1276頁)とあり、日導上人の『祖書綱要』には「所以に九識本法を指して、本覚法身と指す。」(法華学報第十一号7頁)等と衆生所具の仏界を「本覚法身」と称し、九識としているので、九識=仏性乃至仏界、本有無作三身と云う理解が古来より有ることが分かります。
山崎師は【転依によって「道後真如」「九識」と成るのであるから、九識は仏性のような本有ではない】と断言していますが、
『玄義第五下』において、「地論」系と「摂大乗論」系との間の、第八識真妄の論義について、
「一人の心の如き、復た何ぞ定めん。善を為せば則ち善識、悪を為せば即ち悪識、善を為さざれば即ち無記識なり。此の三識何ぞ頓に水火に同じかるべきや。祇だ善に背くを悪と為し、悪に背くを善と為し、善悪に背くを無記と為す。祇だ是れ一人の三心なるのみ。三識も亦た応に是の如くなるべし。若し、阿黎耶の中に生死の種子有って、熏習増長して即ち分別識を成ず。若し阿黎耶の中に智慧の種子有って聞熏習増長して即ち依を転じて道後の真如と成るを、名づけて浄識と為す。若し此の両識に異なるは、ただ是れ阿黎耶識なり。此れ亦た一法に三を論じ、三の中に一を論ずるのみ。摂論に云く、『金土染浄の如き、染は六識に譬へ、金は浄識に譬へ、土は黎耶識に譬ふ』と。明文茲に在り。何ぞ労はしく苦ろに諍そはん」(天全玄義三・639頁・644頁)と、唯識思想に於ける第八識真妄論の執を批判し、一心に善・悪・無記の三性有るように、八識が分別識と成るも浄識となるも無記識と云われるのも一法に三識を論じるもので、別なものでない。土の染は六識に喩え、土が含有する金を浄識に喩え、土は梨耶識に喩えられると論じています。
この文中に「若し阿黎耶の中に智慧の種子有って聞熏習増長して即ち依を転じて道後の真如と成るを」とありますが、九識は種子として本有的に性として有るものと考えていたと言えましょう。

無我・非我・仏性をめぐって。

初期仏教においては、非我が本来の思想であって、無我観によって真実の自己が現れるという教説だそうです。したがって、主体的自己が全く存在しないという思想ではない、だから仏性あるいは第九識を、日蓮宗霊断師会の『新日蓮教学概論』において、「主我」とか「意識主体」と称しているならば、それを「根本的教理である無我の教説に背く外道だ、と短絡的に批判できないのではないか」との趣旨を述べたところ
「村田征昭師は、無我説を否定して有我説を肯定する見解を公然と発表している。これは誠に由々しいことであると思い、立正大学仏教学部教授・三友健容博士にご意見を所望し、次のコメントを頂戴した。【三友健容博士のコメント】 有我説は外道説である 初期仏教では「おのれを求めよ」「真実の自分」という意味で「アートマン」が使われることはあっても、ウパニンャッドで説かれているような常一なるアートマンを認めていたのではないことは明らかである。
無常・無我は初期仏教の根本的立場である「空」思想に基づいている。一切は空であるがゆえに、外道のいう絶対原理としてのアートマンはないし、アートマンに属するものもない。もし「常一なるアートマン」や「衆生の内なるアートマン」があるとするならば、それは空思想を否定するものであり、無常説も無我説も成り立たない。
すなわち高佐師が「第九識を仏性とし誰にでも最も鮮明に自覚し、実存の意識であり、それが『主我』とする『意識主体』である」(取意)とするのは、仏性に名を借りて外道説を述べていることになる。
なぜならば、高佐師は「誰にでも自覚できる実存の意識である主我がある」ということを言っているのであり、これでは外道の有我論と受けとられても仕方ない。
大乗『涅槃経』が小乗の無我説を否定して、「大我」を立てて仏性とし、常住といったのは、空思想に立脚していることを忘れてはならない。空であるがゆえに、凡夫と仏との違いもなく、自分にも他人にも不壊なる仏性があるといえるのであり、それを表現して「大我」といったのであって、外道のアートマン説とはまったく次元を異にしている。
この『涅槃経』を根拠として、仏教は我を否定していないというならば、一部の表現をとりあげて全体を見失っている「群盲象を撫でる」のたぐいであり、霊断の九識を認めるだけの強弁ということになる。(以上、三友博士のコメント)」

との、「主我が有るなどと言うことは有我を説く外道と同類だ」と云う趣旨の反論が返ってきました。そこで再度、無我・非我・仏性を点描し、私は大般涅槃経のアートマン(我・仏性)観に基づいて述べていること、また仏性を「主我」「意識主体」と表現し得ると言うことを述べてみます。

無我・非我説についての中村元博士の見解。

中村博士は無我説について『原始仏教の思想1』(春秋社刊)において次のように論述しています。
「  (5)いわゆる『無我説』は説かれていない
初期仏教における我に関する見解は以上のごとくであった。したがってわれわれはこれを無我説と呼ぶことを躊躇する。「無我」という語は誤解をひき起こしやすい。初期の仏教においては決して「アートマンが存在しない」とは説いていない。」(原始仏教の思想1・501頁)
「このように、初期仏教においては、アートマンを否認していないのみならず、アートマンを積極的に承認している。まず道徳的な意味における行為の主体としての自己(アートマン)を行為の問題に関する前提として想定している。たとえば「自己の義務を果たす者」であるべきことを教え、自己(アートマン)が善悪の行為の主体であると考えている。・・・さらにまたアートマンならざるものをアートマンと解することが排斥されているのであるから、アートマンをアートマンと見なすことは、正しいことなのではなかろうか。聖典自身は明らかにこの立場を承認している。原始仏教においては自己(アートマン)を自己(アートマン)として追求することが正しい実践的目標として説示されている。すなわち真実の自己を求むべきことを勧めている。」(同書505頁)

「初期仏教における修行とは、見失われた自己を実現することであると考えられた。これをわれわれの表現をもっていうならば、真実の自己・本来の自己に復帰することであるといい得るであろう。ひとは真の自己を自覚的に把握せねばならぬ、と考えた。後世大乗仏教においては、たとえば大乗の『大般涅槃経』などでは無我論は第一義諦の説ではなくて方便説であるとして、大我を説くにいたるが、このような思想もある意味においては、すでにその萌芽が最初期の仏教説のうちに内含されていると解することができる。」(同・547頁)
「後世になるとついに『アートマンは存在しない』という意味の無我説が確立するにいたった。説一切有部は明らかにこの立場にたっているし、また初期の大乗仏教にも継承されている。この教説を論証して確立させるための論法として用いられるものは析空観である。」(同・636頁)
初期仏教では真の自己としてのアートマンを認めているとし、その考えは、大乗の『大般涅槃経』で説く真の自己としての大我に繋がる思想であるとしています。

無我・非我説についての三枝充悳博士の見解。

三枝博士も『初期仏教の思想』(第三文明社刊)において、無我説は「真の新たなる自己」を自覚せしめるための教説であり、いわゆる「実体の否定」として「無我」説を説明するのは初期仏教においても後世のことである、と次のように論じています。
「換言すれば、「無我」は、「生(生きる)」すなわち「執著」が「自我」および「自我の執着」として根をはっていた地平を逆転して、そのいわば原点に、真の新たなる「自己」が誕生するという、まさにそのことの的確な表明なのである。このような場面に遭遇して、ゴータマ・ブッダは、おそらく「無我」を宣言するときも、そして「真の新たなる自己」を自覚し、且つまたそれを説くときも、そこに内包されている「アートマン」は、ウパニシャッドにおいて用いられてきた「アートマン」ということばやその内容にはなんらこだわらず、とらわれていなかったのではないか、とわたくしは考える。
「アートマン」は、一方で否定される「自我」であり、他方で肯定され主張される「自己」である。ブッダはただ「アートマン」という語そのものの通常の意味において、人間を見つめ、生を見つめ、そして「執著」を見きわめて、「アートマン」の否定と超越を 無我」をもって表現しつつ、「アートマン」の再生・新生をとらえたのである、ということができる。
なお、先にひとことだけ触れておいたように、「執著」ということが、いわゆる哲学上の論議のうえで、或る意味の「実体」とつらなり、その結果として形而上学的色彩を帯びてくるようになる。そのような面から、いわゆる「実体の否定」として「無我」説を説明するものが、これまでの研究や解説のほとんど全部といってもよいほどであるけれども、このようないわば「実体」をまきこんだ論議は、初期仏教においてもずっと後代に属することであり、それは人間・人間の生そのものに即したゴータマ・ブッダのなまなましい直視・思索・洞察からは離れ、遠ざかっている、とわたくしは理解する。』(初期仏教の思想(中)・428頁)

宮元啓一博士の見解

宮元博士も、初期仏教は析空観によって自己を認めない無我説とは異にする思想であると『インド哲学七つの難問』(講談社刊)において、次のように論じています。
「ところで、われわれは、心身を自己だと勘違いすることが多い。だからこそ、人生の無常がわからず、死という無常に直面するまで、安逸に生きてしまうことになる。これを戒めるために、ゴータマ・ブッダは、心身を五つの要素に分け、そのいずれも常住の自己ではない(非我)と説いた。これを五蘊非我説という。
非我説から無我説へ
 一方、ゴータマ・ブッダは、経験論の立場をとり、経験的事実を出発点としない、いわゆる形而上学的な議論には、みずから口を閉ざし、また、弟子たちにも、そのような果てしない水掛け論に熱中して修行がおろそかになることを強く戒めた。そこで、ゴータマ・ブッダは、日常的な会話には「自己」ということばをふつうに用いているが、自己をめぐる形而上学的な質問には、沈黙をもって対応した。
ところが、ゴータマ・ブッダが入滅してからしばらくすると、心身のいずれも自己ではないならば、そもそも自己なるものはないのだとする、きわめて形而上学的な無我説が誕生することになった。親の心、子知らずというか、後世の仏教徒たちは、ゴータマ・ブッダの重要な戒めを忘れてしまったのである。
ここから、自己を認めない、複雑怪奇な無我説に、仏教徒自身が苦労することになる。なぜなら、自己がなければ、自業自得はありえず、因果応報もありえないことになる。輪廻が説明できなくなる。
そこで、自己を認めずに、その代替物を探しに、仏教は迷路へと踏み込んでいく。屁理屈も必要となる。そのように、無理に無理を重ねた結果、仏教の哲学理論は精緻なものへと鍛え上げられていき、副産物として、仏教論理学という独自の学問さえも形成されることになった。
さて、その無我説が、理論として展開された最初の仏典は、おそらく『ミリンダ王の問い』である。・・・本章では、以下に、この仏典でナーガセーナが展開する無我説を、批判的に検討する。・・・ナーガセーナの無我説は成立しない、というのが結論である。(『インド哲学七つの難問』115~117頁)
「理論としての無我説と実用のための無我説
このように、無我説という、ゴータマーブッダが聞いたらびっくりするような形而上学的な説は、理論としては成り立ちそうもない。少なくとも、理論的に無我説を説いた最初の人、ナーガセーナの議論は詭弁、あるいはがらくたである。 しかし、理論としてではなく、あくまでも実用のためというかぎりの無我説は、大いに有効であると思う。なぜなら、仏教に教えられるまでもなく、我執というものは、われわれの心を縛り、無数の葛藤を引き起こす元凶である。おのれ、わがものへのとらわれを離れたとき、われわれは平安な自由を得ることができる。無我の境地になったとき、体が自然に動いて大きな成果を挙げた、という話は、スポーツの世界ではよく耳にする話である。わたくし自身も、おのれを空しくすることによって、深い洞察を得たり、うまくものごとをやり抜けたという体験をもっている。無我説は、実用主義的に用いるべきで、理論として立てるべきしろものではないのではなかろうか。」(同・137頁)
これらの論述によれば、初期仏教では、真の自己としてのアートマンを否定していないで、真の自己を顕現することを目指していたことが分かります。この自我観が、中村博士が「大乗の『大般涅槃経』などでは無我論は第一義諦の説ではなくて方便説であるとして、大我を説くにいたるが、このような思想もある意味においては、すでにその萌芽が最初期の仏教説のうちに内含されていると解することができる。」と指摘しているように、『大般涅槃経』の真実の自我論すなわちアートマン論(仏性論)に繋がると言えましょう。


『大般涅槃経』のアートマン観

次に『大般涅槃経』のアートマン論(仏性論)を点描します。
田上太秀博士の見解
田上博士は『仏性とはなにか』(大蔵出版)に於いて、
「諸行無常、一切行苦、諸法無我であるから常住な実体はないという教説に対して、『大乗涅槃経』においては、常住で不滅の仏性があると説き、また仏性は可能性ではあるが、崩れないもの、壊れないもの、動かないもの、変わらないものである。しかしアートマンのような実体的なものではない」との旨を次のように論じています。
「「原始涅槃経」では諸行無常、一切行苦、諸法無我という、不滅な、常住な実体はないと説法しているのに対して、「大乗涅槃経」では常・楽・我・浄という世間を超えた常住で不滅の仏性があるという、まったく反する考えを打ち出した点で両者は異なる。
初期仏教では創造主ブラフマンの分身であるアートマンが一切衆生に内在するという信仰を真っ向から非難した。すべては無常であり、不滅の実体はない、私という本体もない、私のものもない、などと説き、いわゆる霊魂内在説を否定した。霊魂に代表されるアートマン説を否定した釈尊が「大乗涅槃経」では本当のアートマンの意味は霊魂ではなく、仏性であると説いた。・・・
一般にはアートマンは不滅の実体で、再生しても各人固有のアートマンが永続して付き従うと考えた。この考えは伝統的にインド哲学や宗教に受け継がれてきたが、「大乗涅槃経」ではそのアートマン説は正しくないと説き、真のアートマンの意味は仏性によって理解すべきだと説いた。伝統的なアートマンも「大乗涅槃経」の仏性も漢訳で「我」と表されているので、紛らわしく十分に理解できない恐れもある。要するに「大乗涅槃経」は仏性こそがアートマンであると大胆に説いた点で思想的に大きな革命と言える。」(『仏性とはなにか』15~16頁)

「仏性とはブッダになる可能性という意味である。可能性はあくまでも可能性で、実現する、成就することが予想される、予定されることである。実現するための方法が確立しなれば可能性はないに等しい、あるいはないのである。
可能性とはいえ、崩れないもの、壊れないもの、動かないもの、変わらないものに変わりはない。しかしアートマンのような実体的なものとは異なる。このように仏性とは、ブッダになる可能性と理解されなければならない用語である。」
(同117~118頁)

また、田上博士は、『大般涅槃経』においては、伝統的なアートマン説が正しくないことを指摘しただけで、アートマン自体の存在を否定したのではない。真のアートマンは仏性であり、仏道修行の善縁がない限り顕現しないのであるから、実体の我ではなく、実在の我と言うべきである。と次のように論じています。

「四十巻本が仏性は我見だとのべたのは、六巻本より一歩踏み込んだ考えをのべたことになろう。・・・我見といえば従来の解釈ではブラフマンの分身であるアートマン(霊魂、神、創造主などをいう)内在説を指し、この説は釈尊によって邪見として指弾された。ところが『大般涅槃経』では邪見と指弾された我見の我を仏性としたのである。否定されるべきアートマンの用語をもって仏性を表した。・・・伝統的なアートマン説が正しくないことを指摘しただけで、アートマン自体の存在を否定したのではなかった。」(125頁)

「如来蔵であり、仏性であるアートマンは生類自身が起こす煩悩に覆われているために、彼らは内在していることを知らず、それを見られないという。ここでは従来のアートマンの意味とは異なる如来蔵、あるいは仏性を意味するアートマンを示し、これが真のアートマン説であるとのべた点は注目しなければならない。」(145頁)
「仏性という我は煩悩にくらまされている間は内在しないといわなければならない。その正体は絶無で、ブッダになることが予想される可能性でしかない我である。実体の我ではなく、実在の我と表現すべきである。」(152頁)

下田正弘博士の見解

下田博士は『涅槃経の研究』(春秋社刊)において、「四諦品第十一」「四倒品第十二」「如来性品第十三」の要文を挙げて、大乗涅槃経では、「如来蔵の有我」が修行されるべきことが主張されている事、また、無我を修行するこのことは第三の顛倒であると主張されている事、また「アートマン=仏ないし如来蔵」とされている事。また、如来蔵・仏性は、「衆生の内なるアートマン」であり、真実には破壊されることはあり得ない「輪廻の主体」として、肉体・煩悩に覆われた現象世界の中の「本質存在」といった様相を担うものとして捉えられている事などを次のように論じています
「「四諦品」は・・・苦滅諦に関して、
『(T)空を修するというのは、常に空性を修して一切が尽き、如来蔵もない、とするようなものではない。・・・一切の衆生には如来蔵が存在しても、それは明らかではないのである。煩悩が尽きてしまう時、如来蔵に入ることが汝によって見られるであろう。……如来蔵が無我であると修し、常に空性を修することで、諸苦は滅することなく・・・如来蔵が存在すると修行する衆生たちは、諸煩悩は存在しても、諸煩悩を破壊する。それ はなぜかと言えば、如来蔵の縁のためである。』(参考に注1を後記)
と説く。
ここでは「空=無我」の修行と対比されて「如来蔵の有我」が説かれている。この表現を素直に受け取れば、具体的な内容は明らかではないが、「空の修行」という修行形態が存在していたことが理解され、そこでは無我が修されることになる。それに反する形で「如来蔵の有我」が修行されるべきことが主張されていると見られるだろう。」(『涅槃経の研究』273頁)

「「我」に関して「如来蔵」が説かれる。
『(T)無我に対して有我と思うのは顛倒である。有我に対して無我と思うのは顛倒である。ここで世俗の者たちの間で我が存在すると言い、世間と同様に仏の教説にも有我であることはなく如来蔵の名前すらないと無我を修行するこのことは第三の顛倒である。』(参考に注2を後記)
・・・「アートマン=仏」が、ここで「アートマン=如来蔵」として位置づけ直されている点である。」(274頁)


「(如来性品第十三において)次には「ヒマラヤ山から流れ出る、一つの味がする味性が場所によって味が変わる」例を出し、
『(T)如来蔵は味性と同様に、多くの煩悩に覆われて存在するのであり、仏になる因子として一味に完成されているのだが、それから諸衆生の業の異熟によって多くの味になるのである。男・女・非男非女として生まれるのである。その如来性は男の自性である。・・・もし生き物を殺してしまえば、寿者は続かないことになってしまうが、寿者が続かないことになることはあり得ない。ここで寿者と言われるのは、如来蔵のことであり、その性は断絶したり殺生したり不連続にしたりすることはできないが、仏果を獲得しない間はけっして明瞭には見ることはできないものである。』
さらに続けて、
『(T)諸世間の者たちの間でアートマンは、芥粒大であるとか米粒大であるとか親指大であるとか妄想してしまうが、真実ならざる妄想である。出世間の理解は、仏性が存在すると理解することであり、勝義諦の理解なのである。・・・例えば鉱脈の生じる穴の検索法を知っている人は、鍬や他の工具で鉱脈を掘れば、石や瓦礫は粉々に砕いてしまうことができるが、金剛はたとえ僅かでも砕くことはできない。一切の武器をもってしても金剛宝は切断することはできないのである。同様に、善男子よ。衆生のアートマンである如来蔵は、何千万の天・魔が一切の武器でもっても断ずることはできないけれども、積聚性は石や瓦礫のように粉々に砕くことができるのである。寿者である如来蔵は金剛宝と同様である。』
と述べている。
ここでは如来蔵=アートマンが寿者として明確に位置づけされ、それは金剛に譬えられるもので、けっして破壊されることがないという。ここまで来ればまさしく「輪廻中の不壊なる本質」として理解してよいであろう。
こうして、ここまでに説かれた如来蔵・仏性は、「衆生の内なるアートマン」であり、また「寿者」であり、真実には破壊されることはあり得ない「輪廻の主体」として、肉体・煩悩に覆われた現象世界の中の「本質存在」といった様相を担うものとして捉えられていることが分かる。」(276~277頁)
(注1。参考として『新国訳大蔵経』の該当部分をあげます)
「苦滅諦とは、若し有るひとが多く空法を習修し学せば、是れを不善と為(い)う。何を以ての故に、一切法を滅するが故、如来の真の法蔵を壊(やぶ)るが故なり。是の修学を作す、是れを修空と名づく。・・・有るひとが説きて『如来蔵有りて見るべからずと雖も、若し能く一切の煩悩を滅除せば、爾らば乃(はじ)めて入ることを得ん』と言うが若し。若し此の心を発こさば一念の因縁にて諸法の中に於いて自在を得ん。
若し有るひとが如来の密蔵たる無我・空寂を習修せば、是くの如き人は無量の世に於いて生死の中に在りて流転し、苦を受けん。
若し有るひとが是くの如き修を作さずんば、煩悩有りと雖も疾く能く滅除せん。何を以ての故に。如来の秘密蔵を知るに因るが故なり。是れを苦滅聖諦と名づく。
若し能く是くの如く滅を習修せば、我が弟子なり。若し有るひとが是くの如き修を作すこと能わずんば、是を修空と名づく、滅聖諦に非ず。」(四諦品第十・大般涅槃経1・191頁)

現代語訳
【〈真理としての苦の克服〉(滅諦)とはなんだろうか。もしすべてのものは実体がないという空の教えを学び、そのように理解する人がいたら、その人は正しく理解してしない。なぜがというと、空の教えは、すべてのものがなくなるということを説くことになるからである。また空の教えは、ブッダの真実の教えを破滅に導くことになるがらだ。この空の教えを学ぶことを空を修めると言う。・・・もし「ブッダの胎児がある。しかしそれは見ることができなくても、煩悩がなくなればその存在を知ることができる」と言う人がいたら、その人はその心を起こしたことで、どんな場合にも自在の境地を得ることになる。もしも実体はなく、空であるというのがブッダの秘密の教えだと学んだ人がいたら、この人は、量り知れない生死流転の苦しみを受けることになる。この教えが間違いであることを知り、再びこれを学はながったら、たとえ煩悩があったとしても、すべてなくすことができる。ブッダの深奥な教えを学び、理解すればできる。これを〈真理としての苦の克服〉という。これを理解した人は私の弟子である。】(田上太秀訳・『ブッダ臨終の説法1』260~261頁)
(注2)
「無我に我想、我に無我想ある、是れをてん倒と名づく。
世間の人も亦た我有りと説き、仏法の中にも亦た我有りと説くも、世間の人が我有りと説くと雖も、仏性有ること無し。是れは(則)名づけて無我の中に於いて我想を生ずと為(い)う。是れを?倒と名づく。
仏法に我有りとは、即ち仏性なり(是)。世間の人が仏法に我無しと説く、是れを我の中に無我の想いを生ずと名づく。若し『仏法は必定して無我なり、是の故に如来は諸(もろ)もろの弟子に勅して無我を習修せしむ』と言わば、名づけて?倒と為う。是れを第三のテン倒と名づく。」(四倒品第十一・大般涅槃経1・193頁)

現代語訳
【実体がないのに実体があるという想いを持つこと、実体があるのに実体がないという想いを持つこと、これらも人逆さま〉である。世間の人々にはものには実体があるといい、ブッダの教えも実体を説いている、という人がいる。そして世間の人々のなかには、ものに実体があると説いていながら、一方ではブッダになる可能性はないという人がいる。これらの考え方は、実体がないのに実体があるという想いを持っているのである。これは〈逆さま〉である。私の教えでいう実体とは、ブッダになる可能性のことである。ところが世間の人々は、ブッダの教えでは実体はないと説いている、という。これは実体があるのに実体がないという想いを持つことである。
もし誰かが「ブッダの教えでは決まって実体はないと説いて、弟子たちにその考えを学ばせ、理解させようとしている」と言ったら、それは〈逆さま〉である。これは第三の〈逆さま〉である。】(田上太秀訳・『ブッダ臨終の説法1』264頁)
以上、田上太秀博士と下田正弘博士と見解を呈示して、大般涅槃経の仏性観を点描してみました。


真実の我の仏性を小乗の無我観で否定することはテン倒

仏性は、真実の我、真実の自己であり、その真実の我が有ることを小乗の無我観を以て否定することは?倒であると強く批判されていることが分かります。
「一切衆生に悉く仏生有りとは、即ち我の義なり(是)。是くの如き我の義は本より已来、常に無量の煩悩に覆わる。是の故に衆生は見ることを得る能わず」(如来性品第十二。大般涅槃経1・195頁)
現代語訳【実在のものとは、如来蔵、つまりブッダの胎児のことである。じつはすべての人々にブッダになる可能性がある。それが実在のものである。ところがこの実在のものは、人が生まれたときから数え切れない煩悩におおわれているために、人はこれを見ることができない。】(田上太秀訳『ブッダ臨終の説法1』266頁)
「善男子よ、もし乳の中に酪の性有りとせば、応に復た衆(あまた)の縁の力を仮(か)るべからざるなり。善男子よ、氷と乳を雑(ま)ぜ臥(よこた)うこと一月に至るとも、終に酪と成らざるも、もし一渧(ひとしずく)の頗求樹(はぐじゅ)の汁を以て、之れを中に投(い)れば即便(ただ)ちに酪と成るが如し。若し本(もと)より酪有らば何が故にか縁を待たんや。衆生の仏性も亦復た是の如く、衆の縁を仮るが故に則便(ただ)ちに見る可く、衆の縁を仮るが故に阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得ん。若し衆の縁を待ちて然して後に成ずとせば、即ち性無きなり、性無きを以ての故に、能く阿耨多羅三藐三菩提を得。」(光明遍照高貴徳王菩薩品第二十二の六。新国訳大蔵経大般涅槃経699頁)
現代語訳【乳の中にヨーグルトの性質があれば、特にヨーグルトを作りだす要素の助けを借りなくてもいいことになろう。菩薩、水と乳と混ぜ合わせておいて一ヵ月経ったらヨーグルトができるだろうか。もし一滴の樹液を乳の中に入れるとヨーグルトを得ることができる。このようにもしもともとヨーグルトの性質があれば、わざわざ他の条件を必要とするだろうか。人々とブッグになる可能性との関係も同じである。種々の条件が重なってブッダになる可能性が見られるのだ。種々の条件が集まってブッダのさとりを完成することができるのである。種々の条件が合して、集まって後に成就するならばもともと不変の性質はないことになる。もともと不変の性質がないのだがらブッダのさとりを得ることができる。】(田上太秀訳『ブッダ臨終の説法3』241頁)
「善男子よ、衆生の仏性は有に非ず無に非ず。所以は何ん。仏性は有なりと雖も、虚空の如きに非ず。何を以ての故に。世間の虚空は無量の善巧方便を以てすと雖も、見ることを得可からざるも、仏性は見る可ければなり。是の故に有なりと雖も、虚空の如きに非ず。仏性は無なりと雖も、兎の角に同じからず。何を以ての故に。亀の毛・兎の角は無量の善巧方便を以てすと雖も、生ずることを得可からざるも、仏性は生ず可ければなり。是の故に無なりと雖も、兎の角に同じからず。是の故に、仏性は有に非ず無に非ず、亦た有にして亦た無なり。云何ぞ有と名づくるや。・・・善男子よ、若し有る人が、『是の種子の中に果有りや果無きや』と問わば、応に定答もて「亦た有にして亦た無なり」と言うべし。何を以ての故に。子を離れて外に果を生ずること能わず、是の故に有と名づく。子が未だ牙を出ださず、是の故に無と名づく。是の義を以ての故に、亦た有にして亦た無なり」(迦葉菩薩品第二十四の二。新国訳大蔵経大般涅槃経954~955頁)
現代語訳【人々のブッダになる可能性はあるのでもなく、ないのでもない。その理由は、ブッダになる可能性はあると言っても虚空のようなものでないからだ。世間でいう虚空はどんなうまい方法を使っても見ることができないからである。そうはいってもブッダになる可能性は見られるのだ。だからあるというが、といって虚空のようではない。ブッダになる可能性はないと言っても兎の角とは違う。なぜなら、亀の甲羅の毛、兎の角はどんな手段を駆使しても生えることはないからだ。ところがブッダになる可能性は生じるのだ。な
いとは言っても兎の角とは違う。だからブッダになる可能性はあるのでもなく、ないのでもない。・・・カッサパ菩薩、ある人が
 「この種子の中に果実があるだろうか」と尋ねたら、「あるとも言えるし、ないとも言える」と必ず答えるだろう。なぜなら種子がなければ果実を生じないからだ。だから「ある」というのである。その種子はまだ芽を出していないので、その段階では「ない」というのである。この意味を踏まえていえば、あるとも言えるし、ないとも言える。なぜなら、時節が異なるだけであって、その本質は一つだからだ。】(田上太秀訳『ブッダ臨終の説法4』204~205頁)
等あります。真実の我としての仏性は「亦た有にして亦た無なり」であって、善縁によって顕現するのだから有と言えると説明しています。
この「無にして有」の状態を「無相密在」と表現し得るでしょう。そして、仏性を実の我(自己)であるとの意味から主我と表現すれば、仏性を「無相密在の主我」と表現し得るでしょう。
山崎師が
【故に、村田征昭師や高佐日煌師のいう「無相的密在的に在る」という説こそ、空思想を否定し、縁起の教えに反する「仏法に非らざる因果無視の邪見である】
と言っていますが、そもそも一念三千・十界互具の法門の意味には、衆生は仏の身土乃至地獄の身土を冥伏であるが具しているという意味もあります。
『観心本尊抄』にも「四聖は冥伏して現われざれども」という表現があります。
この「冥伏状態であるが具している」という意味において「無相的密在的に在る」という語句を使用しする場合も、山崎師は短絡的に「空思想を否定し、縁起の教えに反する」と否定するようです。
山崎師が
【村田師がこのような主張をする理由は、高佐日煌師の悪知識にⅢかされ、空思想を「無自性空」ではなく「有自性空」と認識しているからではなかろうか。拙著第二章註5「龍樹・世親・天台・日蓮聖人が破折する本体説・創造主説・因中有果説について」は、村田師のような批判を想定して記述した。龍樹の入門書として、中村元著『ナーガールジュナ〔人類の知的遺産〕13』講談社、その文庫本である中村元著『龍樹』 (講談社学術文庫)、中村元著『仏教思想 空(上)』平楽寺書店がある。】
と龍樹の入門書を勧めてくれています。私はそれらの本を所有していませんが、山崎師は中論の「無自性空」に傾き過ぎているようです。
そもそも、私は『大般涅槃経』が、仏性を真のアートマン、我の義であると説いていることに基づいて真我すなわち仏性を冥伏状態であるが本具している、すなわち無相的密在的に本具していると主張しているのです。
天台教学に於いては「中論は遣蕩し、止観は建立す」と言う見方があります。『講義』に、「中論は大乗の空理を明かし、止観は本具の円理を明かす故なり」(天全止観1・73頁)と補釈しています。
「本具の円理」とは、一念三千の円理のことで、「衆生は仏性(仏界)を本具している」との意味もあります。ですから、「中論は本具の円理を明かしていない」と云う意味は、「中論は衆生が仏性・仏界を本具していることを明確に説いていない」という意味です。
羅什訳『中論』について妙楽大師が、青目以外の諸師の注があると言って「豈に諸師をもって非と為し、独り青目を存して是と為さんや。況んや青目最劣なり。遣蕩依り?(がた)し。」(天全止観1・74頁)と青目の中論を評しています。青目の中論が遣蕩に傾きすぎていることを『証真私記』に「青目、四句の偈を釈するや唯だ遣蕩に似たり。仮の句、未だ是れ不思議の仮にあらず。中道、真如仏性に似ず。彼に四句を釈して云わく『衆の因縁生の法。我即ち是れ空なりと説く。何を以ての故に、衆縁具足し、和合して而して物生ず。是の物、衆の因縁に属す。故に自性無し。自性無きが故に空なり。空も亦た復た空なり。但だ衆生を引導せんが為に、故に仮名を以て説く。有無の二辺を離るる故に中道と名づく。是の法無性なり、故に有と言うことを得ず。無も空なるが故に無と言うことを得ず。若し法、性相有らば則ち衆縁を待たずして有り。若し衆縁を待たずんば則ち法無し。是の故に空ならざる法有ること無し』已上」(天全止観1・74頁)と、中論の要点をを提示して、空無自性に傾き過ぎていることを指摘しています。

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