「大曼荼羅御本尊の形相が日蓮本仏を証している」との大石寺系の妄論

ヤフーの掲示板での、私の知人(在家)と創価学会員との議論応酬が一応終了したようです。
大石寺系信徒の(以下、S会員と略称)投稿に、
【日蓮聖人の教えを正しく把握理解する上には、
(1)第一に、日蓮大聖人真蹟と認定された百二十数幅の曼荼羅の体相から示唆される内容。
(2)偽作の可能性が濃いと言われるもの、あるいは相伝書と言う特殊な文書を除く御遺文書の内容。
(3)天台大師・妙楽大師等の法華学の内容。
を基に討究すべきであり、このなかで(1)はすべてに優先し、「曼荼羅の体相」を最重要とすべきである。
ところが、あなたは「文証」を提示しろ、挙げろと一人勝手にさわぐだけだ。「文証」は、天台等の法華学や「曼荼羅の体相所見」によって裏付けられなければ、「文証」ではなく、それは単なる「文書」なのです。簡単な例でいえば、御書に「本尊は本門の教主釈尊」とあるのを久遠実成仏とあなたがたは主張するが、これは「御文」ではありますが、「文証」にはならない。何故か、「曼荼羅」には五幅ほどの釈尊在坐のないのがあるからだ。
これに対して日蓮宗のほうでは、「南無妙法蓮華経」が釈尊の心法だと、ばかげた言い逃れをするが、お笑い草以外の何ものでもない。(取意)】
と述べています。
このS会員の見解の非を指摘します。

日蓮教学把握の為めに(2)と(3)は当たり前のことで特別云々する必要は無いものの、(2)ついては、創価学会が大石寺から破門される前までは、大石寺の相伝書類を重要文献としていたのに、このS会員は「相伝書」を重要文献として使うべきででないと言っています。この点はよいですね。
問題は(1)です。
S
会員は大石寺教学をそのまま引きずっていて、
【大曼荼羅御本尊中央の『南無妙法蓮華経 日蓮花押』は大聖人を表しているのだ。だから御書に『本尊は本門の教主釈尊』と有っても、文底の義から云えば、本門の教主釈尊とは大聖人のことなのだ。そのことが解らないでいる日蓮宗では南無妙法蓮華経は釈尊の証悟、釈尊の因行果徳の功徳体などと馬鹿なこと言い張っている(取意)】
などと主張しているわけなのです。

S
会員は「釈尊の名を書き入れてない曼荼羅が五幅ほどあることが釈尊が本尊でない証拠である」と言っているわけです。

そこで大聖人が、「法華経ないし妙法五字と釈尊の関係」をどのように考えておられたかを検討してみましょう。

佐渡前の『諸宗問答抄』に「文字は是一切衆生の心法の顕れたる質なりされば人のかける物を以て其の人の心根を知つて相する事あり、凡そ心と色法とは不二の法にて有る間かきたる物を以て其の人の貧福をも相するなり、然れば文字は是一切衆生の色心不二の質なり」(諸宗問答抄380・代師写本)
(文字はすべての人びとの心を顕わしたものである。したがって、人の書いたものによってその人の心の内を知ることができる。およそ心と身体とは不二であるから、書いたものをもってその人の貧福をも推察することができる。
そうであれば、文字はすべての人びとの身体と心が不二であることを示したものである。・日蓮宗電子聖典現代語訳)
と有るように、「色法としての文字は心法と不二の関係にある」としています。
同じく、正元元年、佐渡前の『守護国家論』には
「此の経は諸経の文字に似ず一字を誦すと雖も八万宝蔵の文字を含み一切諸仏の功徳を納むるなり」(55頁)
と言って、法華経の文字は単なる文字でなく諸仏の功徳が納まっている」とし、さらに「又云く「若し是の法華経を受持し読誦し正憶念し修習し書写すること有らん者は当に知るべし是の人は即ち釈迦牟尼仏を見るなり仏口より此の経典を聞くが如し当に知るべし是の人は釈迦牟尼仏を供養するなり」[已上]此の文を見るに法華経は即ち釈迦牟尼仏なり」(同書66)
と言って、「法華経即釈迦牟尼仏」であると言っています。
さらに「大般涅槃経名字功徳品に云く『若し善男子善女人有つて是の経の名を聞いて悪趣に生ずと云わば是の処有ること無けん』[涅槃経は法華経の流通たるが故に引けるなり]。・・・法華経流布の国に生れて此の経の題名を聞き信を生ずるは宿善の深厚なるに依れり設い今生は悪人無智なりと雖も必ず過去の宿善有るが故に此の経の名を聞いて信を致す者なるが故に悪道に堕せず。」(同書70)とあります。
また、学会版御書では文永元年作で佐渡前の御書としている『木絵二像開眼之事』にも
「色心不二なるがゆへに而二とあらはれて仏の御意あらはれて法華の文字となれり、文字変じて又仏の御意となる、されば法華経をよませ給はむ人は文字と思食事なかれすなわち仏の御意なり、」(469頁)とあります。
以上の諸文から、佐渡前において、「法華経は釈尊の心であり、一切諸仏の功徳が納まつており、その題目にも悪趣に堕することを防ぐ力用がある」と説いていたことが分かります。

佐渡後の御書にも、文永九年の『四条金吾殿御返事』には
「此の法華経の一字の功徳は釈迦多宝十方の諸仏の御功徳を一字におさめ給う、・・・妙法蓮華経と申すは総名なり二十八品と申すは別名なり、・・・法華経は釈迦如来の書き顕して此の御音を文字と成し給う仏の御心はこの文字に備れり、たとへば種子と苗と草と稲とはかはれども心はたがはず。釈迦仏と法華経の文字とはかはれども心は一つなり、然れば法華経の文字を拝見せさせ給うは生身の釈迦如来にあひ進らせたりとおぼしめすべし」(1121~22頁)
とも、また『祈祷抄』にも
「御年八十と申せし、二月十五日の夜半に御涅槃に入らせ給いき、而りといへども御悟りをば法華経と説きをかせ給へば此の経の文字は即釈迦如来の御魂なり、一一の文字は仏の御魂なれば」(1346頁)と、「釈迦仏と法華経の文字とはかはれども心は一つ」「此の経の文字は即釈迦如来の御魂」と明示してあります。
特に『観心本尊抄』には、
「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す」(246頁)とあって、妙法蓮華経の五字は釈尊の因行果徳体だと教示してあります。
また『撰時抄』にも
「神力品の十神力の時十方世界の一切衆生一人もなく娑婆世界に向つて大音声をはなちて南無釈迦牟尼仏南無釈迦牟尼仏南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経と一同にさけびしがごとし。」(259頁)
とあります。経文では南無釈迦牟尼仏と称したとありますが、大聖人は経文の深意をとらえて、釈迦牟尼仏のお心(釈尊の証悟功徳)は妙法蓮華経と認識していたので、「南無釈迦牟尼仏南無妙法蓮華経と一同にさけんだ」と言う表現をしているのです。

ですから、【日蓮宗のほうでは、「南無妙法蓮華経」が釈尊の心法だと、ばかげた言い逃れをするが、お笑い草以外の何ものでもない。】とのS会員のあざけりは、理のおすところ、大聖人に向かって、あざけっていることになります。

それから、S会員たちは「御書に『本門の教主釈尊』等と書いてある箇所は、文底の義から解釈すれば、大聖人を指しているのであると言う誤魔化し解釈」を叩き込まれているので、日蓮宗側が「本門の教主釈尊とあるように、久成釈尊が主師親三徳具備の根本教主である」と説得しても、「いや大聖人が本仏である」と言い張り続けます。もしかしたらS会員達は、『観心本尊抄』の「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字」との文意をも【文底の義では、大聖人の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字と意味だ】なんて脱線解釈しているかも知れません。

日蓮宗側の者(以下、本宗側と略称)が、
【『三大秘法』に「教主釈尊・・・此の秘法を説かせ給いし儀式は四味三教並に法華経の迹門十四品に異なりき、所居の土は寂光本有の国土なり能居の教主は本有無作の三身なり所化以て同体なり、かかる砌なれば久遠称揚の本眷属上行等の四菩薩を寂光の大地の底よりはるばると召し出して付属し給う、」(1021頁)とあり、また『曽谷入道等許御書』にも「大覚世尊仏眼を以つて末法を鑒知し此の逆謗の二罪を対治せしめんが為に一大秘法を留め置きたもう、所謂法華経本門久成の釈尊宝浄世界の多宝仏高さ五百由旬広さ二百五十由旬の大宝塔の中に於て二仏座を並べしこと宛も日月の如く・・・爾の時に大覚世尊寿量品を演説し然して後に十神力を示現して四大菩薩に付属したもう、其の所属の法は何物ぞや、法華経の中にも広を捨て略を取り略を捨てて要を取る所謂妙法蓮華経の五字名体宗用教の五重玄なり」(1030~32頁)とあって、根本教主は久成釈尊であると明示しているではないか】
と説明しても、S会員達は【いや、文底の義では「大覚世尊とは大聖人を指している】と、言い張るので、全く話になりません。

S
会員達は【大曼荼羅御本尊の中心・中尊は南無妙法蓮華経の真下の日蓮花押は一続きであるから、中央の南無妙法蓮華経(法)と日蓮花押(人)は、人法一体で、大聖人を表している。だから、大曼荼羅御本尊は日蓮本仏であること示している】と言い張っています。だからS会員も、日蓮本仏論を正当づけようとして、【(1)第一に、日蓮大聖人真蹟と認定された百二十数幅の曼荼羅の体相から示唆される内容】が最重要だと、言っているわけです。
S
員達のこうした主張は全く不正であることを、日興門流要法寺歴世の近藤勇道師も著書『興門正義』において、すでに指摘しています。
以下引用↓
【叱者は(日寛教学信奉者の事)蓮祖は人法体一にして、人に即して是れ法は事一念三千の大御本尊、法に即して是れ人なるは久遠元初自受用報身即蓮祖大聖人なればなり。汝じ先づ眼ヲ開いて本尊を拝せよ。中央に南無妙法蓮華経日蓮と文字太に遊ばし、其の下に御判を加へ左右に釈迦多宝等と遊ばされたることをと云々。
叱者先づ眼を開いて、彼の萬年救護と称する御本尊(本因妙顕発の御本尊とも称されている)を拝せよ。全く中央南無妙法蓮華経左右釈迦多宝等書き了らせ給いて大覚世尊御入滅後経歴二千二百二十余年雖爾月漢日三ケ国之間未曾有此大本尊或知不弘之或不知之我慈父以佛智隠留之為末代残之後五百歳之時上行菩薩出現於世始弘宣之文永十一年太歳甲戌十二月日甲斐國波木井郷於山中図之と遊ばされ而して殆ど其の紙端の右に日蓮、左に遙かに離れて御花押を据ヘさせ玉ひ、又た同九年正月元日なる称徳付法の御本尊にも亦た以て右に日蓮、左に離なして御花押遊ばされ、同年六月十三日の御本尊にも殆ど紙端の右に御花押、左に日蓮と遊ばされ、同十年八月十五日の御本尊にも右の紙端に御花押、左の紙端に日蓮と遊ばされ、建治三年太才丁丑九月ノ御本尊には全く左の紙端に南無妙楽大師南無伝教大師と書して其の次下に日蓮花押を遊ばされ、弘安三年五月九日の御本尊には中央首題の下に鬼子母十羅天照八幡天台妙楽傅教等を列ねさせ玉ひて、其の全く紙端に日蓮花押遊ばされたることを(此の他、建治二年正月六日の御本尊、同二年太才丙子二月の御本尊等亦た以て之れ同じ)隨って又た門祖御書写の御本尊にも右に天台大師左に伝教大師日蓮大師と書し玉ひたるものあることを(弘安九年五月五日)中央紙端に日蓮とのみ書写し玉ひたるものあることを(徳治三年十月八日)。然るに若し叱者が義の如く中央云云等とならば、叱者は先づ此等を何とかいわんとするや。況んや現に、今の御本尊には、我慈父以佛智隠留之為末代残之後五百歳之時上行菩薩出現於世始弘宣之等と遊ばされたるにはあらざるなきかいかん。 知るべし縦し御名御花押の位置中央にまれ左右にまれ紙端にまれ、我が大聖は正しく此の御本尊別付禀承能顕能弘の教主にして、御本尊は即ち所顕所弘の唯一妙法大曼陀羅なることを。叱者何に意ぞ先づ其の能顕所顕を顛倒し、
剰さへ中央文字太なんど言って、すこぶる俗中之俗の俗論を吐露するや。其の始終法相法規に外れ道理文証に背逆して胸臆妄情の小刀細工をめぐらすこと最も孚憫の業障なり。】(興門正義二・150~152頁)
と論じ、「大曼陀羅中央の南無妙法蓮華経と大聖人花押を一体と見てしまって、大聖人こそ人法一体の久遠元初自受用報身仏である」と言う大石寺教学を否定しています。

「立正安国会」刊の「御本尊集」をサット見ても、いく幅も、南無妙法蓮華経の直下に日蓮花押が書かれていない大曼荼羅御本尊があります。
故に、S会員達の【大曼荼羅御本尊の中心・中尊は南無妙法蓮華経の真下の日蓮花押は一続きであるから、中央の南無妙法蓮華経(法)と日蓮花押(人)は、人法一体で、大聖人を表している。だから、大曼荼羅御本尊は日蓮本仏であること示している】との主張は成り立ちません。
ちなみに言うと、近藤勇道師が提示している「萬年救護の御本尊」の下部の文は訓読すると「大覚世尊御入滅ノ後、二千二百二十余年ヲ経歴ス。爾リト雖モ、月・漢・日、三力国ノ間ニ、未ダ此ノ大本尊有サズ、或ハ知ツテ之ヲ弘メズ、或ハ之ヲ知ラズ。我が慈父、仏智ヲ以テ之ヲ隠シ留メ、末代ノ為メニ之ヲ残シクマフ。後五百歳ノ時、上行菩薩、世二出現シテ始メテ之ヲ弘宣ス。  文永十一年太歳甲戌十二月日。 甲斐国波木井山中ニ於テ之ヲ図ス。 日蓮・花押」です。大覚世尊則ち釈尊を慈父と言い、「釈尊が末法救護の為めに隠し留められた大曼荼羅御本尊を、今上行菩薩の応現である日蓮が弘宣するのである」と書き入れて有るのです。

また大曼荼羅御本尊の形相は、法華経本門八品演説中の霊山虚空会の儀相が基になっていることは明らかです。
『観心本尊抄』には、御本尊の形相を
「其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏多宝仏釈尊の脇士上行等の四菩薩文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を表する故なり、」(247頁)と語られているので、2ヶ月半近く後に図顕される大曼荼羅御本尊の形相を霊山虚空会の儀相に擬するお考えであった事が分かります。

『曾谷入道殿許御書』には法華経本門八品演説中の霊山虚空会の光景を
「大覚世尊仏眼を以つて末法を鑒知し此の逆謗の二罪を対治せしめんが為に一大秘法を留め置きたもう、所謂法華経本門久成の釈尊宝浄世界の多宝仏高さ五百由旬広さ二百五十由旬の大宝塔の中に於て二仏座を並べしこと宛も日月の如く十方分身の諸仏は高さ五百由旬の宝樹の下に五由旬の師子の座を並べ敷き衆星の如く列座したもう、・・・爾の時に下方の大地より未見今見の四大菩薩を召し出したもう、所謂上行菩薩無辺行菩薩浄行菩薩安立行菩薩なり。・・・爾の時に大覚世尊寿量品を演説し然して後に十神力を示現して四大菩薩に付属したもう、其の所属の法は何物ぞや、法華経の中にも広を捨て略を取り略を捨てて要を取る所謂妙法蓮華経の五字名体宗用教の五重玄なり、・・・慧日大聖尊仏眼を以て兼ねて之を鑒みたもう故に諸の大聖を捨棄し此の四聖を召し出して要法を伝え末法の弘通を定むるなり、」(1030~33頁)
と、述べられています。正しく大曼荼羅御本尊の形相は霊山虚空会の光景と同様といえます。
霊山虚空会に於いては釈尊が根本教主として本門八品を演説し、弟子である上行菩薩等を呼び、妙法蓮華経の五字名体宗用教の五重玄であり釈尊の因行果徳二法の功徳体である要法妙法五字を末法に弘通すべしと命じている光景です。
だから、大曼荼羅御本尊の形相からも、根本教主は釈尊であり、大聖人の本地身の上行菩薩は弟子・仏使であることが示されているのです。
以上検討したように、S会員の「大曼荼羅の体相を拝すれば大聖人が本仏であることが分かる」などと言う主張は全く成り立たないのです。

(追加)

『本尊問答抄』に

「答へて云く、法華経の題目を以て本尊とすべし」(365頁)とあり、また、同御書に「末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり」(366頁)とあって法華経の題目を本尊とすべしとあります。

また『日女御前御返事』にも「されば首題の五字は中央にかかり」(1243頁)とあります。

故に、『本尊問答抄』『日女御前御返事』によれば、大曼荼羅本尊中央の題目は法華経の題目・首題です。

 

法華経の題目(首題)とは、『四信五品抄』に

「妙楽の云く「略して経題を挙ぐるに玄に一部を収む」(四信五品抄341頁)とあり、また「妙法蓮華経の五字は経文に非ず其の義に非ず唯一部の意なるのみ、」(同書342頁)ともあり、また『妙法尼御前御返事』にも

「南無妙法蓮華経の題目の内には一部八巻二十八品六万九千三百八十四の文字一字ももれずかけずおさめて候、されば経には題目たり仏には眼たりと楽天ものべられて候、記の八に略して経題を挙ぐるに玄に一部を収むと妙楽も釈しおはしまし候、心は略して経の名計りを挙ぐるに一部を収むと申す文なり、一切の事につけて所詮肝要と申す事あり、法華経一部の肝心は南無妙法蓮華経の題目にて候、」(妙法尼御前御返事1402頁)とあります。此等の教示によれば、法華経一部八巻二十八品を含蔵し、法華経一部の肝心、法華経一部の肝心です。

また「寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字」(観心本尊抄250頁)

「本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字」(下山御消息346頁)

と有るように、法華経本門寿量品の肝心でもあります。

 

また、『日妙聖人御書』に「此妙の珠は昔釈迦如来の檀波羅蜜と申して身をうえたる虎にかひし功徳鳩にかひし功徳、尸羅波羅蜜と申して須陀摩王としてそらことせざりし功徳等、忍辱仙人として歌梨王に身をまかせし功徳、能施太子尚闍梨仙人等の六度の功徳を妙の一字にをさめ給いて末代悪世の我等衆生に一善も修せざれども六度万行を満足する功徳をあたへ給う、今此三界皆是我有其中衆生悉是吾子これなり、我等具縛の凡夫忽に教主釈尊と功徳ひとし」(日妙聖人御書1215頁)と有り、『観心本尊抄』にも「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(246頁)と有るように、久成釈尊の因行果徳の功徳が妙法五字には具足していて、受持唱題により久成釈尊の因行果徳の功徳を譲り受けられるところの、いわゆる乗種です。

弘安元年十二月『十字御書』、弘安三年十月『大豆御書』、弘安二年十一月『兵衛志殿女房御返事』等々には、身延御草庵の御宝前を「法華経の御宝前」と称しています。

釈尊立像と大曼荼羅御本尊とを奉安している御宝前であり、その大曼荼羅御本尊は法華経本門八品に顕れた本尊であるから「法華経の御宝前」と呼称されたと推測できますが、また、大曼荼羅本尊中央に題目が大書されていて、その題目が、「法華経一部八巻二十八品を含蔵し、法華経一部の肝心」、「法華経一部の意」、「本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字」であるから「法華経の御宝前」と呼称されたと推測されます。

以上の検討によれば、「大曼荼羅中央の題目と日蓮花押は一連で人法一体の本仏日蓮大聖人を表している」のだと言うような考えなどは、大聖人には全く無かったことが分かります。


(引用御書頁数は創価学会版の御書全集)

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