法華本門顕要抄

     本山寂光寺日鑑 撰述

 

 

開山日什大正師置文

  定

一門中、心得べき事  大聖の御門弟六門跡並びに天目等の一流、皆な法軌仏法共に大聖の化儀に背く処有るに依って同心せざるなり。直に日什は仰いで日蓮大聖人に帰する処なり。門弟等深く此の旨を存知すべきものなり。但し下総真間に於いて帰伏状并びに起請文有り。然りと雖も法門并びに法軌、大聖の御義に違うに依って捨て申す処なり。是れ捨悪知識の質なり。右日什が門弟等此の旨を尋ねよ。此の旨に違背の輩に於いては謗法堕獄の罪過為るべし。後日の為、

置文状件の如し。

嘉慶二年戌辰八月廿五日

       二位僧都日什 在判

 

右此の状を諷誦文裏書きの置文と云う。唯だ当時の日妙上人の追善のみにあらず。後代の門中の真俗男女の仏道修行の亀鏡、成仏得道の南車なり。故に常に心に存すべき大事なり。此の置き文は遠州見付玄妙寺にあり、其の後、妙満寺に有ること多年。天正年中より当寺の住物たり。門中の僧俗血脈相承とも云うべき秘書なり。ここに予、頑魯為りと雖も多年法流に澡浴し法味を?禀す。故に報恩の為め聊か愚弁を加へて、以て初心に示すのみ。

 

此の置き文を分て三ケ条と為す。

一には六門跡及び天目等に同心せざる所以を弁じ。

二には諸門流の化儀法理全く大聖人に違背することを弁明す。

三には真間弘法寺の帰伏状、并に起請文を破する所以を示し。

四には諸門流受持分絶えて之れ無き故、其の正義を顕示し玉ふ。(是れは置き文の外なり)合して四ケ条と為す。此れは是れ蓮祖出世の大事、弟子檀那即身成仏の要蹊なり。

 

一には六門跡及び天目等に同心せざる所以を弁ずは、

什師は高祖御入滅三十三年に当たって正和三年甲寅四月廿八日御誕生なり。而して宗祖御入滅九十九年に当たって康暦二庚申秋の改宗なり。夫れより真間弘法寺に帰伏し又た中山に至って高祖の御親書を悉く拜覧し、程なく両山の能化と成り給ふ。初め真間に帰伏し給う故に、真間能化と称するなり。他門の諸抄に見えたり。さて什師御改宗の初めは養利噉(タン)鈍の手段を施し、開目抄に依って自解仏乗し給う事を抑止在懐し身は両山に居して、永徳元年宗祖第百回御忌に当たって報恩の為め天子へ奏聞し給う。

其れより已来(このか)た諸門派の所立を見聞し給うに、昭師朗師向師頂師の五派は一致、興師并に天目日弁法師等は勝劣、或は五人謗法堕獄富士正義、或は富士謗法堕獄五派正義と互いに是非を論じ、又た各々付弟嫡弟の争論のみにして、肝心の化儀法理の沙汰は一向之れ無き故に、什師は諸門流に同心したまはずして御書を師匠と仰ぎ経巻相承し給うなり。故に門徒故事記(御直弟日運記)に云く、日運兼ねて什上人より聴聞申せし如く日義上人仰せに云く先師上人天台宗を捨てて当宗へ帰入し玉ふに付いて心得べき子細有り、高祖大上人の門流に六老僧中老僧等相分かれたり。是の六老僧の中に、ヒキノ谷の日朗門徒には三ケの重宝を伝えたり。蓮祖より付弟状あり云々。富士大石寺日興門徒は三箇の大事を伝えたり吾れ付弟なり。身延山日向門徒は御勘気抄の端書きに佐渡坊急々参れ大事の法門を伝う可しと遊ばせり、是れ則ち付弟の義なり。下総日頂の事は指したる名称をも聞かずとも師資の血脈偽り伝えて日頂の御荼毘所を知らざる子細之れ有り。又た受持絶えたり。天目日弁両人は同心して迹門十四品を捨つべし、之れを読む者は謗法堕獄なり。又た上代より風聞すらく六老の中、五門徒は本迹一致云々と。富士の日興は本迹勝劣なり、又た五人謗法富士正義と云う書を造られたり。又た日朗門徒は日印と日像と三人付弟論有りと風聞す。其の外の諸門徒皆な一准ならず。相互に争論の子細ども多し。是れ皆なあ上代より諸門家に風聞する通りなり。ここに日什上人仰せに云く大聖人の直弟の御代から相互に是非争論有りと聞こゆ。実に上代より之れ有りか。又た中古末代より各々非義を云い振る廻い出して上代へゆづられけるか。何と尋ねれども人々正直に答える人有り難しと覚えたり。所詮大聖人御直弟の御事は是非共に実証を知り難し、故に是非の沙汰を申し難し。但し其の末学達の化儀に付け法理に付け、かたちがいなる謬り多々なる間、左様の諸門跡には同心申さずして但だ仰いで大上人の御内証より垂れ給う覧ん御慈悲を信用して高祖の御心中より直ちに法水を酌み奉る。さて吾が骸分の及ばん程は随力弘通をはげまし仏祖の化儀を助け申さんは定めて大上人の直弟の御影達も正直に渡らせ給はん程の内証に悦ばれ参らせこそせんずらめ、曾て上代の直弟をば実証を知らずして是非申し難し。さて、はつべきに非らざれば中絶の法水を大上人の御内証より続き奉るべし。是れ則ち経巻相承の一分なり。(已上運記。此の書を所持せざる人の為めに具文を引く)什祖止む事をえず諸門流を捨てて直授日蓮経巻相承し給う事、斯の書に在って分明なり、弁ずるに及ばず。

 

問うて云く、冨士門流の五人所破抄の如く五老僧は一致と云うべきや。

答えて云く、此の五人所破抄(啓蒙十八 八十三)興師の作に非ず、偽書なり云々。

六聖は多年高祖に親灸して直ちに塔中別付の大事を常に聴聞し給う故に一致に非ず。高祖の如く勝劣なり。然るに啓蒙十八(八十已下引)日向書に従本垂迹は全く本末平等なり但だ久近の異のみ之れ有り、末法に於いて最も本迹を並べて修行すべき事両義有り。一には現証の義、二には付属の義なり。現証とは大聖人毎日の勤行方便寿

量なり。次ぎに付属義とは迹門を斥う事は天台宗の迹付属の迹なり。上行所伝の本迹に非ず云々。又、日興の元意は日興記に分明なる上は一致の所立疑い無し云々。又、朗師御書に云く、さて迹門に説く所の実相常住の理体と本門寿量品とは全く同なり。

故に処々の解釈には本迹雖殊不思議一とも釈し、迹門は体、本門は用なり。故に籤一には長寿は只だ是れ証体の用云々と。又、像師本迹同一集中に云く、籤一に云く、但だ近遠に拠って以て本迹を判ず(已上)。一体用本迹の事、方便品は体なり、実相を体と為す寿量品は用なり、長寿を用と為す。籤一に云く長寿は只だ是れ証体の用。

又、云く本中の体等は迹と殊ならず。又、云く本迹二体其の理殊ならず。玄七に云く本迹雖殊不思議一と云々。(各おの要を取る)

 

啓蒙引く所の朗向像書倶に台家実相理同の釈に依って一致を立て給云々。

 

問うて云く、六聖等実に一致と申すべきや。

答えて云く、台家の実相同の釈に依って一致を立つる者は全分の天台宗にして日蓮宗に非ず。体同の一致は天台妙楽伝教等だにも尚を正意とし給はず、況んや高祖をや。

日常(中山常忍上人)記に云く所詮天台宗の配立に執して実相同なんど言わん当宗の人々は天台の主意にも背き、数通の書を破る者なり。高祖の再興由無きなり。乃至大いなる誤り、無間の業なるをや。(文)と。

 

十章抄(内三十)に云く、九十五種の外道は仏恵比丘の威儀より起こり日本国の謗法は爾前と法華の円と一と云う義の盛んなりしより此れ始まれり(文)。高祖自ら実相同の一致を破し給う事明白なり。六老僧等親(まのあ)たり此の説を聞き給て、なんぞ一致を立て給うの理有らんや。録内数通の御書に一箇所も本迹雖殊不思議一等の理融の釈を引き給はず。是れ眼前の証拠なり。(録外には処々に之れを引く、玉石雑乱論ずるに足らず)若し爾からば朗書向書像書等皆な後人の偽造なり。既に一致の名、祖書に拠(よりどこ)ろ之れ無し。既に名無ければ其の義無き事必然なり。

 

難じて云く、古今の一致門流数千の先哲一同に或は六聖は倶に一致、或は五老は一致、興師は勝劣と云へり如何。

会して云く、予ガ門の先哲受師の云く唯だ五老僧は権実を先として折伏し興師は本迹を先として折伏し給うの異有りといえども倶に勝劣なり云々と。今謂く此の義能く聞こえたり。

興師は宗旨を本として本迹を正と為し、権実を傍と為し給ひ、五老は宗教を本と為して権実を正と為し、本迹を傍と為し給うなり。し然るを孫弟曾孫弟、台判に依って権実相対して諸宗を折伏し給うを誤って本迹一致の邪義を興するなり。権実相待本迹相待の二義、一も廃すべからず。宗祖の御書に此の二義分明なるが故なり。或は法華経一部を用いて四十余年の諸経を対破し、或は本門を用いて直ちに爾前を折伏し、或は用いて並べて爾前迹門を対破し給う故に六聖各々一辺を用いて折伏弘通し給うのみ。決して一致に非ず。一致の名は天台の宗旨なり。六老中老等の諸門流各三代四代の頃より本迹一致の僻見を起こす者なり。余処に委しく書する故之れを略す。

 

問う、什師何ぞ富士門流に帰伏し給はざるや。

答えて云く、日金(御直弟)記に云く、本迹に浅深を立て給うを以て肝要と為す。此れ既に蓮祖の本意上行付属の大旨なり。此の旨に迷い浅深を立てず修行に傍正を明らめざる事自立廃忘の師敵対なりと歎いて諸門徒に向かって経文御書を先と為して呵責し教訓し給うといへども改悔無し乃至日興上人は本迹勝劣の御立行なり。但し迹門をば所破の為めと云う事、五人所破抄に見えたり。蓮祖は末代凡夫の行ずべき様は傍正と判じ玉ふことを所破の為めと御立行有り、信用し難し。故に同心せざるなり。

又、天目等の立行も同じく双用して傍正を立て勝劣を云う事蓮師の本意たるを改めて十四品を捨てて読まずと云うに驚き歎いて同心せざるなり。これを以て遺言に何れの御門徒成り共、高祖の御書に改悔有って修行し弘通之れ有らば随身致せ云々(已上)。私に云く一致と云うは経文に背き塔中別付の正意を失い、末法の時機に相応せ

ざる故に五老僧等の門跡を捨て給うなり。又、迹門を破さん為めに方便品を読むと云はば念仏を破さん為めには阿弥陀経等をも読むべきか。況んや御書に背く故に興師にも同心し玉はざるなり。

 

薬王品得意抄(内三十三・八ヲ)に云く、涌出品は寿量品の序なり。分別功徳品十二品は正には寿量品を末代の凡夫の修行すべき様を説き、傍には方便品等の八品を修行すべき様を説くなり(文)と。

 

四菩薩造立抄(外十五・三十六)に云く、今末法は本門の弘まらせ給うべき時なり。今の時は正には本門傍には迹門なり(文)と。興師の御義此れ等の御判に背く云々、と。又、天目師の如く迹門無得道と云って十四品を捨てて読まずと云うは亦祖判に背く。観心本尊得意抄(内三十九・二十八)に云く、迹門をよまじと云う疑心の候なる事不相伝僻見にて候、乃至所詮、在在所々に迹門を捨てよと書きて候事は今我等が読む処の迹門にては候はず、叡山天台宗の過時の迹を破して候なり(文)と。

 

朗向像の書おのおの理同の釈を証として一致を立つる故、全分の天台宗にして日蓮宗に非ず。若し爾からば高祖の御出世無益なり。故に偽書と云うなり。玄義一に云く、斯れ乃ち二経の雙美を総べ両論の同致を申べ(文)と。籤一に云く、斯れ乃ち等とは本迹を二経と為し、迹の経は謂く方便品の仲の実相是れなり。本の経は謂く寿量品の仲の非如非異是れなり。金剛蔵及び中論を両論と為す。致は猶を得のごとし。謂く両論二経同じく実体を得ればなり(文)と。

金剛論は別して華厳の意を申べ、中論は総じて諸大乗の意を申ぶるなり。是れ則ち一致立名の根拠なり。若し体同の釈に依って一致を立つれば一代経の内、阿含小乗を除いて余は念仏真言禅宗等も一致なり。四箇の名言忽ちに破壊しなん。高祖は本化にして本門付属本面迹裏の御弘通なり。故に寿量品の本因本果の宗玄義を正意とし報応事常住十界無始色心三世常住の事一念三千を今経の証体として迹門の非権非実深理、本門の非権非実非近非遠の深遠々々の理を用て報応事常住の仲に攝め以て権迹の諸経を判ずるに教を用て理を推し益を奪って爾前迹門の得道を許し給はざるなり。故に知んぬ、高祖は勝劣、天台は一致なる事を。故に六門流倶に勝劣と云うなり。

 

応に知るべし。昭門流は或は勝劣、或は一致なり。日昭流本迹問答抄(啓蒙十八・八十四引)に云く、一には広の修行の時は本迹一致、二には要の時は題目正行二十八品助行、三には一部共に本門と読誦し奉るなり。日伝肝要と存する義は題目正行二十八品助行の義なり、さて助行の本迹には勝劣を立てるべし、と。(啓蒙之れを破す)

 

今謂く第二の義は全く当門と同轍なり云々。

池上本門寺比企谷本妙寺は正しく朗師を初めとす。朗・印・静・伝と次第して一致勝劣に分かる。所謂本圀寺等は一致、越後本成寺洛陽本禅寺は勝劣なり。

応永年中、本圀寺伝公と陣師と一致勝劣の論起こって両派と成る云々。

又、冨士門流興師は従来勝劣なり。然るを一致の先賢多くは興師は御口伝に依って元来一致なり、後学勝劣の異見を起こすと云う。今謂く御義口伝は高祖事観の日、二十八品の文々句々を題目に結し給いといへども一致には非ず。又、向師の事は慥かなる義を聞かず。又、頂師は弘安七年申年宗祖第三回忌に当たって鎌倉に於いて他宗と問答取り組みに付いて十月十二日弘法寺へ帰り給う故に父常忍上人の勘当を蒙り給い、其の後正安元年常忍入道遷化し給う故に荼毘収骨終えて四月三日行く末知れず成り給う。祖入滅十八年目なり。本法寺親公の伝灯抄に委曲なり。別頭統紀十には乾元々壬申三月八日富士重須村に到り十六年を経て文保元年丁巳三月八日六十六歳にして化し玉ふ、骸を山の麓常林寺に?(う)む。重須本門寺の末寺なり云々。

高祖年譜改異中には富士住居の人は同名異人なり、頂師は終わる処を知らずと云々。

童蒙懐覧には興師へ随身と云う。今謂く興師と同心に本迹勝劣なるべきか。又、持師は統紀には高祖御入滅十四年永仁乙未年四十六歳入唐と云い。年譜改異上には祖入滅十年正応四年四月入唐と云う。年限異説を挙ぐ。一致勝劣分明ならず云々。

 

真間弘法寺は日常日頂日樹日宗あり。日宗は一致なり。什師と問答して閉口せり。故に第五代弟子日満は内心什師に帰伏す伝灯抄に云く明徳元庚午年中山へ背くと云々。内心什師に帰する故に背くなり。明徳三年二月什師御遷化真間の満公、二位の律師に書簡を持たせて奥州に到らしむ云々。

 

中山法華寺常師は勿論勝劣なり。第三代日祐の代に一致を立てるか。遠公云く録外第三観心本尊得意抄は日祐作なりと云々。像門流亦一致勝劣の両流なり。一致は妙顕・妙覚・本立寺等なり。勝劣派妙蓮・本能・本興・本?等なり。妙顕寺第五代月明僧正応永年中本迹同異の争論起こって隆師等の二十四人離山して勝劣を立つ云々。

 

問うて云く、像師より霽(せい)公までは実に勝劣なりや。

答えて云く、予は門流異なる故、実証を知らず。但し安心録に云く像薩埵の云く一往勝劣再往一致と。聖言信ずべし、と。予直ちに祈祷経相伝抄を見るに条々に一往勝劣再往一致の判あり。是れ則ち啓蒙所引の同一集と全く同轍なり。隆門の知病与薬集と云う写本に此の相伝抄を偽書と為す。予も亦之れを疑う。像師の作にしては余り浅近なり。隆徒の難ずるが如し。若し像師の真書にして妙顕寺に有らば隆公等二十四人本迹異論の時、月明之れを出して示すべし。若ししからば離山すべからず。之れを以て思うに後人の謀作なるべし云々。

 

延山遠公も同じく一往勝劣再往一致なれども瓶水抄に往々之れを批判す。然れば像師は一致とも勝劣とも決し難し。或抄に霽(せい)公の顕庭抄見聞上に云く結要四句上行所伝の法は本迹一致は勿論なり、と。祈祷抄並びに此の書の如くんば像・霽は一致なり。若しし?からば其の間の大覚朗源も一致なるべきか。然るに隆・忠・真等の流れ此れを師資相承すと見えたり云々。

 

問うて云く、什師御改宗は大聖人御入滅後僅か百年内外なり。本化の妙宗何ぞ速やかに紛乱し種々僻見を起こすや。

答えて云く、十法界明因果抄(内十六・二十四)に云く、仏の滅後四十年の比、阿難尊者一の竹林の仲に至るに一比丘有り、一の法句偈を誦して云く若し人生まれて百歳なりとも水の潦涸を見ざれば一日にして覩見することを得(已上)と。阿難此の偈を聞いて比丘に語って云く此れ仏説に非ず(乃至)阿難答えて云く若し人生まれて百歳にして生滅の法を解せざれば、生まれて一日にして之れを解了するを得るにしかず(已上)と。此の文仏説なり。乃至仏滅後四十年にさえ既に謬り出来せり。何に況んや仏滅後二千余年を過ぎたり(文)と。

 

大聖世尊の仏法四十年に尚を謬乱せり。況んや末法濁世に百年を過ぐるや慈覚大師は伝教大師の弘仁十三年御入滅より三十一年に当たって叡山の座主と成り法華経の霊場を真言の山とし最為第一の法華経を最為第二と読み、理同事勝の邪義を興して権実雑乱の大謗法山となせり。又、身延日向上人は高祖御入滅三年に当たって弘安七年身延山の貫主と成り、檀那波木井氏を誑かして謗法の社参等を勧め給う故に、別して興師、向師を教諭し実長公に書簡を送って謗法を呵責し給へども之れを用いず(興師の書簡身延蔵中に在ること別頭統紀第九に出す。又、向師邪見強欲にして波木井氏に謗法の社参を勧むること親公の伝灯抄に明白なり)故に五人同心に身延を離山し給う。(統記に興師一人離山と云うは妄語なり)

 

肝要集(又、品類御書と云う。全部六巻。一致者流日雅の集なり)五・四十二に云く、日朗御書に云く、そもそも甲斐国波木井の郷身延山久遠寺と申すは日蓮聖人九箇年法華経読誦の山なり。乃至、久遠寺の大檀那波木井殿に三つの謗法之れ有るに依って、日昭・日朗・日興・日頂・日持の五人は同心に彼の山を出づる事一定なり。

夫れ三つの謗法とは一には伊豆の三島の明神に戸帳を懸ける事一定なり。二は鎌倉の八幡宮へ神馬を引く事一定なり。三には如法行の為め国中の謗法者を勧進する事一定なり。以上三つなり。波木井の謗法隠れ無きに依って五人は同心に彼の山を離出する処に彼の日向は日蓮御弘通の本意を背き大謗法の波木井殿の施を受けて彼の山に留まり給う事、師敵対なり。日向は禅念仏の宗旨にも劣れり。日蓮聖人は獅子身中の虫を以て譬えば我が弟子等の仲にも邪義を云い出して日蓮が弘通の本意を云い失う者有るべしと書かれたるは日向一人に定まれり。是れ師敵対なれば堕地獄一定せり。末代文証の為めに之れを注し畢んぬ。

 弘安七年甲申八月二十二日 日朗在御判

 

高祖御入滅三年に当たって而も六上足の向師御臨終遺命の守塔の輪次を破るのみならず安国論に背いて謗法の社参を勧め給う事、実に悪鬼入其身の故か。恐るべしおそるべし。夫れ身延は真の霊山事の寂光と御称歎有る事は本化上行菩薩の御住所なるが故なり。天台の云く法妙なるが故に人貴し、人貴きが故に処尊しとは是れなり。上行菩薩の御魂ひましませば霊山浄土なり。謗法の人住しては即無間地獄なり。伝灯抄に身延池上は下馬をもすべからざる上は参詣は勿論なり云々。

啓蒙は日乾の謗法を悪んで参詣を停止す。況んや予が門流は法理異なるがゆえに堅く参詣を禁止す。

 

御直弟、尚を斯の如し。況んや三四代の末弟においておや。邪義紛紜として宗祖の化儀法理に背く故に什師、六門跡並びに中老等に同心し玉はざるなり。設ひ六聖といへども尚を末師なり。御書に背かば用うべからず。是れ釈尊高祖の金言なり云々。(内二十五・廿二ヲ)

 

二には諸門流の化儀法理、大聖に違背することを弁明せばとは。

化儀とは化導の儀式なり。或は方軌、或は軌儀なり。之れに付いて摂折の不同あり。

末法は折伏の化儀を正と為す。化儀には種々有れども其の中に別して宗教の五箇、末法時刻相応の折伏の行相等、是れ化儀の肝要なり。

先ず宗教とは教・機・時・国・教法流布の前後なり。教に小権迹本の異有り。機に已有善・未有善・已逆・未逆・信・謗・善・悪の別有り。時に正像末の殊り有り。国に大・小・兼・別の差有り。

小乗の後に大乗、迹門の後に本門、日出台隠、是れ則ち流布の前後なり。

上来の五箇を克明して諸宗の人法を折伏し謗法を呵責し謗法供養を制し他宗門の仏神及び狐狸鬼魅等の社参を禁じて以て身軽法重、死身弘法す。是れ則ち蓮祖の化儀、什師の置き文の意なり。而して宗旨の本門三大秘法を顕耀して事の一念三千の御題目に誘引し、同じく仏道を成しむる是れ則ち法理なり。三大秘法とは即ち事の一念三千なり。

 

難じて云く、他門一同に此の法軌を守り、専ら折伏弘通し給う。胡ぞ什師独り誇耀し給うや。

答えて云く、尤も所難の如し。但し宗祖本迹の相違は天地水火の違目と(内二十八治病抄)判じ給う。しかるを本迹を混合し一致を以て折伏して還って宗旨の三大秘法を隠没す。若し本門の三秘に対すれば寿量品尚を助と為す、況んや迹門をや。末法は教は是れ本門、機は本門の直機、時は是れ本法流布の時、国は是れ本門有縁の処、正像に小権迹弘まって後、本門寿量のお題目始めて顕わる。権迹の星月隠れて本経の大日天子出現し給う是れ流布の前後なり。若し一致と修行すれば口には本門と云うといへども自然と迹門宗と成る故、開山上人愁訴し給う処なり。日金記(会津六老)に云く、当時の日蓮の所立こそ誠に法華宗時尅相応の弘通、末法今時分の衆生成仏すべき立行と御信仰有る処に、所化の内に高祖の御書を所持して折節、文箱を忘れたり、能化、不思議に思って所化の文箱を忘るる事よと御笑い有って、抜き御覧有るに開目抄上下と如説修行抄と三巻御座(おわし)けり。什師御覧有って悦心限り無し。随喜の泪乾く間も無くおわしけるが、軈(やが)て思い立って法華宗の(黒河富士門徒なり)方へ使いを以て尋ね給うに、関東真間中山の両寺に学匠多くして日蓮の法理盛んに弘通候えば真実の御意志有らば尋ね有るべしと返事之れ有り。故に時を移さず用意有って下総へ御立ち有るなり。乃至、深く御書を御信仰有って法水を汲み、日蓮の御前にて

直授相承之れ有り。所化多き(二百余人)中に何れの所化忘れたりとも存ぜず。是れ又不思議なり(已上)と。

 

当に知るべし。開目抄は高祖龍口の大難を遁れ佐渡に至り給いて

自ら開迹顕本して(開目抄下二十七ヲ)云く、日蓮と云いいし者は九月十二日頸切られ已んぬ。此れは魂魄佐渡に至りてしるして有縁之でしへおくる云々と。文の中に日蓮とは垂迹なり。魂魄とは本地上行菩薩なり。塔中別付を顕示せんが為め、専ら権実本迹の起尽を糾明し教理の浅深勝劣(下廿四ヲ)を断判し、本仏迹仏(下八ウ)の虚実を顕し、而して末法下種の証体、文底秘沈(上七)の真の一念三千(上二十四ヲ)を顕説し給うなり。

当に知るべし。本仏本化は本門の本尊なり。(人の本尊は傍意なり法の本尊は正意なり云々)十方を穢土と号し此の土を本土と号すとは本門戒壇なり。真の一念三千は本門題目なり。佐渡御勘気抄(内二十三・九ヲ)(種種御振舞御書)に云く去年の十一月より勘えたる開目抄と申す文二巻造りたり。頸切らるるならば日蓮が不思議をとど

めんと思って勘えたり。此の文の意は日蓮によりて日本国の有無はあるべし(文)と。

 

文の意を案ずるに上下万民本門三大秘法の御題目を信ずれば国土安穏なり、不信なれば亡国なりと云う義なり云云。

権実本迹の浅深勝劣を教示し給う開目抄なり。

 

次ぎに如説修行抄は時刻相応の折伏不惜身命の亀鑑なり。故に開目抄に依って法理を相承し如説修行抄に依って化儀を稟承し給うなり。開目抄上(七ヲ)に云く、一念三千の法門は但だ法華経の本門寿量品の文の底に秘め沈めたまへり(文)と。此の文底の一念三千を次ぎ下(二十四)に顕説して云く、正しく此の疑いを答えて云く、然善男子我実成仏已来無量無辺百千万億那由佗劫(此れ則ち寿量品の文なり)等と云云。(乃至)しかりといへどもいまだ発迹顕本せざればまことの一念三千もあらはれず二乗作仏もさだまらず猶水中の月を見るがごとし根なし草の浪の上に浮かぶるに似たり(迹門の一念三千二乗作仏を本無今有・有名無実に譬う)本門にいたって始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる四教の果をやぶれば四教の因やぶれぬ。爾前迹門の十界の因果を打ちやぶつて本門の十界の因果をときあらはす。此れ即ち本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備わって真の十界互具百界千如一念三千なるべし(此れ則ち文底秘沈の真の一念三千なり)已上。

 

然るに一致勝劣数多くの学匠、皆此の文と底とに迷って紛紜として種々の僻見を興す。哀れむべし、哀れむべし。此れは是れ日鑑が己証千古未発の正義なり。凡そ十界成仏の法理とは本門事一念三千の妙法に限る。若し権実相対すれば迹門理一念三千を且く仏種とす。開目抄下(十一・ウ)に云く、宗々互いに種を諍ふ。予は此れをあらそはず但だ経文に任すべし。法華経の種に依って天親菩薩は種子無上を立てたり。天台の一念三千これなり(文)と。此れは権実相対の一往なり、与なり。

観心本尊抄(内八十四)に云く、然りと雖も詮ずる所は一念三千の仏種に非らざれば有情の成仏、木画二像の本尊も有名無実なり(文)と。是れは再往なり、奪なり。什師寿量文底の真の一念三千を持って法理と定め給う。然るを迹門正意・天台已弘の実相理同の釈に依って本迹一致を立てる事、開目抄・本尊抄等の録内正意の御書に違背する故、悲歎し給うものなり。

因みに問うて云く、他門の書に什師の改宗は全く陣師の善巧に由るといへり。実なりや虚なりや。

答えて云く、中古より彼の門の師徒、荘厳己義の為めに妄伝する処なり。彼の門に云う処は陣師若年の頃、聞一と名乗って日什の膝下に講談を聞き、帰国の時、開目抄と改宗を勧むる封状とを置いて帰る。日什後に是れを見て改宗すと云云と。是れ年代相違なり。陣公は暦応二年巳卯年出生より什師改宗康暦二庚申年まで四十二年に成る。然れば陣公此の年四十二歳なり。此の頃は静公の譲りを受けて本成寺の貫首として自衆徒を領す。豈に遊学するの理あらんや。陣公の選要略記に日什の講を聞くと云うは陣公遊学の日、師未だ玄妙能化の時なり。受師の本迹自鏡編に妄伝たる事を糾明し給う往見。

 

次ぎに化儀とは如説修行抄に依り給うなり。夫れ宗教の五箇を知るを大法師とすと大経に説き給へり。能く斯の五箇を明らめて折伏弘経するを法華宗の化儀と云うなり。

然るを重公愚案記に五種の妙行を指して如説修行と云い不惜身命は如説の攝属なり云云と。今謂くしからず、五種の妙行は三時摂折に通ず。不惜身命は末法相応の妙行なり(諸御書の如し)。

況んや別して如説修行抄一巻あり。其の中に摂折二門を分かち末法の不惜身命、正しく如説修行なる旨を示し給へり。文に(内廿三・廿五)に云く、されば末法今の時、法華折伏の修行をば誰が経文の如く行じ給う、誰人にて坐すとも諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音も惜しまずよばはり給いて諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ、三類の強敵来らん事は疑い無し(乃至)一期を過ぐる事、程無し。何に怨敵重なるとも努々退く心無く、恐るる心無かれ。従ひ頸をば鋸にて引き切り、どうをばひしほこを以てつつき、足にはほだしを打ちて、きりを以てもむとも命のかよはんきはは南無妙法蓮華経々々々々々々々と唱え死に死ぬるならば(乃至)寂光の宝刹へ送り給うべきなり。あらうれしや、あらうれしや(文)と。御文分明に不惜身命を以て如説修行と判じ給うなり。

 

天台伝教大師等は摂受の如説修行、高祖は折伏の如説修行なり。末法に於いては五種各(おのおの)不惜身命に非らざれば行じ難し。例せば日朗御書(外十一・十五)に云く法華経を余人のよみ候は口ばかり、ことばばかりはよめども心はよまず。心はよめども身によまず、色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ(文)と。

什師明徳三年正月二十日の置き文に云く但し誰にても門徒の僧衆の中に京都の弘通を致し、諸宗は堕獄、法華宗ばかりに限って成仏為るべしと、堅く申し候はんずる人を門徒の僧俗崇重し供養すべく候(略引)と。什師全く如説修行抄に依り給う事顕著なり。設ひ他門

不惜身命の化儀を守るといへども所弘の大法、大聖人に違背す。如説修行抄の軌儀を守って本門三大秘法の妙法を自他奉行す是れ則ち高祖の化儀に信順し奉るなり。然るを一致と心得ては大いなる謗法なり。故に他門を折伏呵責し給うなり云云。

 

三に真間弘法寺の起請文並びに帰伏状を破る所以を示す。

我が開祖什師康暦二年三巻の御書を感得して一覧し給ひて多年の疑氷頓に解け、過時の迹門宗を棄てて応時の本門宗に帰し給ひ下総真間に到って改宗の素懐を述べ給うに弘法寺(中古妙法寺と云う。伝灯抄に出す故、奏聞記には妙法と云い、古事記には弘法寺と云う)四代の住持宗師異儀無く許諾し給う故に師、帰伏状並びに起請文を書して且く掛錫し給ひ、真間中山の能化と成って衆徒を領して講席を盛んにし又、都鄙の弘通を専らにし給ひ、養利噉(タン)鈍の為めに外には真間中山の化儀に随い給えども内には宗祖正義の方軌、仏法に随い給うのみ。そもそも康暦二年御改宗より内には三大秘法を嘿(モク)識し給へども外には六年抑止して七十二歳、至徳二乙丑年に至って初めて内証の本懐を顕示し給ひ、遠州府中の旅宿に於いて真間の日宗に逢って本迹の法門を論ず。宗公数々屈っすれども執を変ぜずして去る。宿の主及び見聞の数十人皆な感伏して改宗受法す。此に於いて一寺を建立し本立山玄妙寺と号す。寺を日妙上人に付属し給う。時に嘉慶元年十一月廿七日、妙師遷化同じく二年戌辰年八月廿一日諷誦文を作って妙師の小詳忌を預修し給ひ、同廿五日末代亀鏡の為に諷誦文の裏に置き文を書し給う。具文は前に記するが如し。

 

今亦、略して示す。置き文に云く、但し下総真間に於いて帰伏状並びに起請文有り。然りと雖も法門並びに方軌大聖人の御義に違うに依って捨て申す処なり。是れ則ち捨悪知識の質なり(文)と。此れは是れ御臨終五カ年已前なり。然るを他門の僧俗是れを誤証文と披露して什師を嫉謗する事文盲の至りなり。(予が略伝に之れを糺正す)

誤証文と妄伝する事、本化別頭統記より始むるなり。此の統記十八什師祖伝に至っては初生より入滅に至るまで悉く妄誕なり。(什祖略伝に悉く之れを破す)弁ずるに足らず。又、鍋冠上人の伝灯抄に什師の事跡を挙ぐる是れ又杜撰なり。造仏停止と云うは冨士門流に混ずるなるべし。塔中並座の式は真門流に濫ずるなるべし。一カ国に寺を二か寺創する事を制すと云う是れ又、悪口なり。什師自ら遠州に二か寺を創し給へり。所謂、吉美妙立寺、見付玄妙寺是れれなり。貫首を一人に定むべからずと云うは是れは明徳三年の置き文を知らざる故なり云云。

所詮、法理とは寿量品所顕の本門三大秘法事の一念三千の御題目を云うなり。是れ則ち高祖霊山に於いて面授口決し給う大法なり。御義口伝下(十八ヲ)に云く、此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり。戒定慧の三学寿量品の事の三大秘法是れなり。日蓮慥かに霊山に於いて面授口決せしなり(文)と。此の如来秘密の文を天台大師は所迷法体と科し給う。心は爾前迹門の菩薩二乗人天等此の三大秘法に迷う故に五百塵点劫来生死に流転シテ成仏せざるなり。一致を立てる族は多く本門三大秘法の本門の辞を忌憚し平等大慧本迹一致と云う。是れ妙法能迷の人にして五百塵点劫生死の海底に沈淪すべき衆生なり。哀れむべし。哀れむべし。是れを大上人違背の人と歎き給うなり。さて此れ御題目は正行、一部は助行なり。一部の中に於いて本正迹傍と修行する(薬王品得意抄・四菩薩造立抄)

是れを勝劣と云うなり。又、本迹の教門には一往勝劣あれども理体は再往一致と云う是れ他門の意なり。

当に知るべし。一致勝劣と云うは経旨に約する相待の名なり。御題目は宗旨に約する絶待の名なり。然るを達公の本迹雪謗に不二と一致とは名異義同と云云と。今謂く不二と一致とは名異とに義別なり。既に本迹一致と云い、二物相対して旨致を一にするの義なり。相待たる事、彰灼たり。又、不二とは体外の権迹を開廃して実本に会入す故に唯だ本門にして迹の名体倶に亡滅す。四河海に入って同一鹹味となり本の名字を失うが如し。唯本不二は絶待の名なる事炳焉たり云云。

其の外、古来より勝劣に責められて一致の名を種々に転計す。御書に吃としたる証拠なきが故なり。或は本圀寺伝公は宗章勝劣体章一致、或は妙顕示は一往勝劣再往一致、或は教相勝劣観心一致(此れ皆台判に依るなり)、或は題目一致、或は超絶の一致(日澄の義)、

或は開迹顕本の一致能開所開の勝劣分明なるが故、其の難を遁れんが為に上行内覧の一致と云う。斯の如く種々に転計する事は祖意に契はざるが故なり云云。

 

問うて云く、啓蒙に本門三大秘法の三箇に各々本門と云うは天台過時の迹に対する辞なり。高祖御読誦の迹は一致なり云云と。此の義如何。

破して云く、三大秘法の本門の辞は迹に対するに非ず。況んや過時の迹をや。知るべし。如来秘密は釈尊本地自証の本法にして待対の重に非ず。是れを内証寿量品と云うなり。玄一(五ヲ)此の妙法蓮華経とは本地甚深の奥蔵なり、文に云く是法不可示(乃至)証得し玉へる所なり(文)と。籤一(本廿三)に云く、文に云く下は迹を引いて本を証す、自証の辺に約せば法として説くべき無し云云と。四条金吾御書(内廿八・十二)に云く、故に天台大師の云く仏三世に於いて等しく三身有り。諸経の中に於いて之れを秘して伝えず云云と。此の釈の仲に於諸経中と書かれて候は華厳方等般若のみならず法華経より外の一切経なり。秘之不伝と書かれて候は法華経の寿量品より外の一切経には教主釈尊之れを秘して説き給はずとなり(文)と。次の釈は爾前迹門本門を揀(えらん)で唯だ寿量品を取り給う事分明なり。衆生の即身成仏寿量品に限ると云う台当の決判なり。故に即身成仏事(内三十八・三十)に云く、文句九に寿量品の心を釈して云く仏於三世等有三身於諸教中秘之不伝とかかれて候。此れこそ即身成仏の明文にては候へ(文)と。

如来秘密の三大秘法は唯だ仏の自知にして本化も尚を知り玉はず。況んや迹化をや。如来は三誡し大衆は三請し重誡重請して説き給う秘法なり。釈尊は之れを説かんが為に出世し給ひ、多宝世尊は之れを聴き之れを証せんが涌現し給ひ(文句八薩云経を引く)分身の諸仏は発迹顕本の為に来集し、本化の諸大士は聞命破執顕本弘法の為に涌出し給う。誠に言語同断の経王、心行所滅の妙法なり。故に天台大師は(文句九)奇特大事慇懃鄭重と判じ給へり。何ぞ過時の迹に対する辞と云うや。大罪なり。他門の族ら本門の言はを忌み寿量品の名を憚りて平等大慧の妙法と云う。重公の愚案記、乾公の宗門綱格に三大秘法の名を転じて本尊修行所期と云う。彼の師尚をしかなり。況んや当時闇短の人をや。

三大秘法を名づけて日蓮法華宗と云うなり。故に是好良薬は寿量品の肝要南無妙法蓮華経と判じ給へり。是れは色香美味皆悉具足の戒定慧の三学三大秘法を指すなり。逆謗救療の良薬、豈に之れに過ぎんや。故に御書(第九取要抄・第七報恩抄)に称歎し玉はく国に約すれば天竺震旦に之れ無く、時に約すれば正像二千年に顕はれず。人に約すれば迦葉阿難龍樹天親天台伝教にも付属し玉はず、末法の初め日本に於いて始めて顕れ給う正法なり。故に三大秘密の正法と云うなり。一致者流是れを隠没す、豈に大上人違背の師敵対に非ずや。什師起請文を破り捨悪知識し給う事、良に以へ有るかな。

 

四には、諸門流受持絶えて之れ無き故、其の正義を顕示し玉ふ事。

受持とは能化には授戒授法と云い、弟子檀那には受持と云うなり。是れ則ち成仏の種子、入道の要路なり。運師の置き文に云く、夫れ受持は五種の行の中の第一の妙行決定成仏の種子なり云云と。私に云く、他門流一向、受持無しと云うには非ず。能授の化儀は諸門一同に有れども所授の戒法大聖人の御書に乖角す。故に什師受持分絶と遊ばすなり。康暦元己巳年八月四日妙顕寺霽公へ書簡を送り給う。此の時、霽公備中に隠棲せらる。其の状に云く此の間は久しく案内を啓せざるの条、本意に背き候(乃至)今度承けたまり候得ば御門徒には不受持と謗法との施を受くべき事、仰せられ候。大聖人の化儀に候か、如何があ有るべきか。不審に存じ候(已下之れを略す)八月四日       日什在判

  妙顕寺御同宿中

 

霽公返状に云く、一鬱積の処に芳訊承り悦び候(乃至)先ず経を受持せしめずと云う事、誰が説くや。是れ当家の要事なり。故に講肆に於いて毎度之れを授くるなり。其れに就いて題目の次ぎに是真仏子の文を授くる事、当家一流の己証なり。凡そ入来聴聞の緇素貴賤を押さえて仏子と称す。知るべし。自身即仏の内証相承なりと云う事を。是の如き口外すべからずの由、先師示されり、但し余未だ相承せず。纔かに加様に聞き及ぶのみ。其の外、取り分けても皆な受法せしむるなり。然るに門徒博き故、余未だ対面せざるの輩茲れ多し、況んや別して直きに受けざる者定めて繁多なるべし。其の上、女性なんどの中に事に就いて憚り有る故、志有って見参する人猶を希れなり。況んや直に経を授けんや。然りと云って信心強盛の人を謗法に属し難きか。加様の人の為に専ら講説の砌に於いて之れを授くるなり。故に信者と成る程の人受持せずと云うこと無し。其の上、信力の故に受け念力の故に持つなれば一句聴聞して随喜肝に銘じ神に染むるは是れ信なり。其の志忘失せざるは是れ持なり。縱ひ別に之れを授けずと雖も何ぞ受持無しと云わんや。然るに当家は経を受持する人には則ち法名を授くるなり。猶を慇懃ならば本門の十重禁戒を授くべし。(次下に謗法施の会通有り、之れを略す)(乃至)恐々謹言

八月十七日        日霽在判

真間能化二僧都御坊返事

 

今謂く、説法の砌、大会一同に授くる泛 々たる受持は諸門流一統に有る事は勿論なり。然かれども所授の法体、或は平等大慧の南無妙法蓮華経、或は本迹一致の南無妙法蓮華経と授け、亦、受ける故に受持分絶と云うなり。本門三大秘法の中の戒壇とは釈尊久遠自証の戒法にして本迹一致など云う相待の重に非ず。他門之れを知らざる故に大上人に違背すと云うなり。之れに依って什師明徳二年辛未年九月二十日受持の法式を顕示したまへり。門徒古事記(直弟日運)に云く、卑文谷の僧智蔵坊(後、日運と号す)の云く、卑文谷法華寺は受持分絶えて之れ無く候。但し在家の人も僧等も出家の時、法華已前の大小等の戒を捨てて法華寿量品の大乗戒を持つや否やと三辺問答させる計りにて候(乃至)偏に受持を御許し候べく候。上人仰せに云く、爾からば明日予が経文を以て受持の沙汰をし候はんずる。能く々聞いて事を定められ候へ。今申さるる如く出家の時に限って法華の戒を持つやの事、余りに大様なり。そもそも出家已前に死し候はん人は仏種なくして如何が候べき。岡の光長寺も此の義計りにて受持之れ無し。又、今頃の人の申し候様に親重代の信者ならば受持なしともと申し候事不審に候。しからば親を供養して別に師を仰ぎ候はん事無益なり。取り分け師と申す事は初発心受持の大事なり。其の外、学法の談は夫は別段なり。何様明日受持有るべ

く候云云。然る間、明日二十日上人御経を披き受持の御沙汰有り(已上)と。什師授法受持の作法別に録して日任上人に与え給う書上総国東金本漸寺蔵中に之れ有る由、台師(だいし)の什師伝に出でたり。故に予、先年同寺山主僧正日掌師に承りしに知らずと仰せあり。故に予、熟(つらつら)什祖の御内証を案じて且く卑懐を述するのみ。

宝塔品に云く、若有能持則持仏身(乃至)此経難持若暫持者○是名持戒行頭陀者則為疾得無上仏道○是真仏子(文)と。

斯の経文迹門たりといえども寿量品に破開して本門体内の迹一部本門として之れを引用す。唯本となすといえども所開の文なり。故に引いて寿量品の戒壇を助顕するなり。若し破開せずんば一向、迹の文なり。用ゆべからず。故に下山抄(内廿六・五十三)に云く、叡山の円頓戒も又慈覚の謗法に曲げられぬ。彼の円頓戒も迹門の大戒なれば、今の時機に当たらず。旁々持つべき事にはあらず(文)と。此の中に謗法と過時と両重を分けて持つべからざる旨を示し給へり。然るを伝灯抄並びに童蒙懐覧に日昭上人弟子を叡山に於いて受戒せしめんと仰せありと云うは妄語なり。六老の上首昭師此の書を見玉はざるの理有らんや。況や直に本迹相対して大いに勝劣を示し給うをや。

本門戒躰抄(内三十・二十一)に云く、方便品に入て持つ所の五戒(乃至)経に是名持戒とは則ち此の意なり。迹門の戒は爾前大小の諸戒には勝ると雖も、本門の戒には及ばず(文)と。而して次ぎ下に本門寿量品の十重禁戒を示して云く今身より仏身に至るまで爾前の殺生罪を捨てて法華経寿量品の久遠の不殺生戒を持つやいなや、持つと(三辺)已下九戒悉く前の如く(之れを略す)と。

此の御書直に寿量品を以て爾前の諸戒を捨て迹門の諸戒を破し給うなり。

法華経の辞ばは四十余年の諸戒を揀らび、寿量品の辞ばは二十七品の諸戒を簡らび、久遠の辞ばは本成已後、諸の迹中の諸戒を揀らんで本地自行の戒体を示し給う者なり。諸門流本成已後迹中の戒を授けて本地内証の色香美味悉具足の戒法を授けざる故に、受持分絶と云うなり。さて受持と申すは法華経の五種の妙行の中に於いて受持

の一行最も肝要なり。受持無行余行徒絶と申して五種の行の中に受持の一行欠ければ余は無益なり。

受持とは信念と云う義なり。文句八(初)に云く、信力の故に受け、念力の故に持つ(文)と。(大論五十七の十七)受持は意業なり。又云く受持是意業読誦説は是れ口業、書写は是れ身業(文)と。

三業の中に意業肝要なり。故に外典に心此に在らざれば視れども見えず、聴けども聞こえず云云。

大論三十二終に云く、聞いて奉行するを受と為し、久々にして失わざるを持と為す(文)と。又、受持の一行の中にも受は易く持は難し。故に勝鬘宝窟上(末二十九)に云く、戒法に二有り。一には受。二には持。但し受くるは易く持は難し(文)と。

録外他受用二(十九)に云く、受くるはやすく持つはがたし、さる間、成仏は持にあり(文)と。世間にも親の譲りを受けるは易く、さて田畠財宝重代の珍宝等を持つ事は難きが如し。貞観政要一(十二)に云く、始めを善くすること有る者は実に繁(おお)く、能く終わりを克(よく)する者は蓋し鮮(すくな)し。豈に之れを取ること易くして之れを守ること難からん(文)と。

神力品の偈に能持是経の辞ばは一紙半の中に五ケ処あり。持は別して大事なる故か。又、是経と云うは総じて一部を指す様なれども左には非ず。上の結要付属の四句を指すなり。故に記十(三十九)に云く、若能持と言うは四法を持つ(名体宗用)なり(文)と。故に十重禁戒の一々法華経寿量品の久遠の戒を持つやいなや、持つと問答、合わして六十反、皆な持と云う。持つは難き事知る可し。

且く受持の二字を難易に分くる事しかなりといえども五種の妙行の中には受持を以て大事の中の大事とす。所詮、末法は受持信行の成仏なり。故に神力品に於いて結要の五字を上行大士に付属し畢って御弟子檀那を歎いて云く於我滅度後応受持斯経是人於仏道決定無有疑(文)と。身延御書(内十八・三十八)に云く、然れば末法の謗法五逆たる僧も俗も尼も女も此の経にて仏に成らん事疑い無し。然れば法華経第七に云く、於我滅度後(乃至)無有疑云云。此の文こそ、よによに憑敷く候(文)と。

本尊抄一部の所詮、唯だ受持受得の成仏にあり。故に本尊抄(第八・十五)に云く然りと雖も文の心は釈尊の因行果徳の二法妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲与したまう(乃至)釈迦多宝十方の諸仏は我等が己心の仏界なり。其の跡を紹継し其の功徳を受得す(文)と。

其の外、諸御書、法華経を受持して南無妙法蓮華経と唱うべし云云と。意業大事なる事知んぬべし。

 

問うて云く、宗祖は十重禁戒各三反づつ、問い三十反請答三十反なるに当今は但だ三辺なるは何の表示ぞや。

答えて云く、存略三反は寿量品に依るか。寿量品に云く汝等当信解如来誠諦之語と三たび誡め給う、是れ則ち授戒なり。所謂、今身より仏身に至るまで法華経寿量品の三大秘法の事の一念三千の南無○経を持つやいなやと三反授くる義なり。

次ぎに大衆同声に我当信受仏語と三たび請する是れ則ち受持なり。所謂、今身より仏身に至るまで能く本門寿量品の肝心如来秘密の三大秘法事の一念三千の南無妙法蓮華経を受くる義なり。重誡し重請する事は誠に随自の要語にして難信難解なるが故なり。

文句九に云く、広開近顕の遠文に二と為す。先は誡信(乃至)仏旨に誡を論じ(是れ授戒なり)衆の請するを信と為す(是れ受持なり)此の文に三誡三請重誡重請有り。奇特の大事なれば慇懃鄭重にす(文)と。

誡とは戒にして防非止悪の義なり。謂く執権の非を防ぎ、謗実の悪を止むるを受持と云うなり。経に云く正直捨方便但説無上道云云と。又、執迹の非を防ぎ迷本の悪を止むるを受持と云うなり。経に云く、然我実成仏已来(乃至)由侘劫等云云と。(戒体抄の意之れを案ずべし)

故に文句九に云く、然善男子我実成仏已来の下は第二に執を破し迷を遣ることを明かして以て久遠の本を顕す。上の文の誠誡は即ち是れ此れなり(文)と。経文御書台判の如くんば爾前迹門の麁法を捨てて法華経寿量品の久遠自証の三大秘法事の一念三千の南無妙法蓮華経を信念口唱するを受持と云うなり。他門悉く之れに背く故に什師悲歎し給う処なり云云。(シゲき故之れを存略す)

 

問うて云く、或は出家の時、或は初生の時、或は改宗の時、或は説法の時、一辺受持すれば一生受持に及ばざるや。

答えて云く、然らず。朝夕誦経唱題ごとに高祖開山を能授の師として今身より仏身に至るまでと受持すべきなり。予、門中の旧式を改めて広略に経て助行の読誦畢って数百辺唱題し数(かず)題目終えて別に三辺唱へるは受持の略形なり。什師多年の御悲歎、唯だ此の一途にあり。弟子檀那として等閑に得意すべからず云云。

 

問うて云く、妙満寺及び関西関東の門中の諸寺の衆僧、助行の為に広く一部を読誦しても御題目は只だ三反なり。是れ什師の軌則なりや。

答えて云く、然からず、什師は従浅至深の御修行なり。是れ末代弟子檀那の方軌なり。日金記に云く、仰せに云く朝夕の勤行方便品寿量品或は自我偈題目なり。浅深の次第と心得べきなり。十如是は一巻傍誦なればなり。寿量品題目は数巻数返正行なればなり。

又、自我偈一巻(乃至)十巻助行の故に、御題目は百辺(乃至)千返等なり。正行の故に云云と。又、日妙上人諷誦の御布施に方便品十二巻十如是百廿辺寿量品千二百巻自我偈一万二千巻題目一億二万辺云云と。浅深次第の御修行明白なり。必ず門中の僧俗たとひ助行の方便品自我偈は誦まずとも御題目を数百千唱へ奉るべし。是れ則ち宗祖大聖人の御本意什師の御本懐なり云云。

 

問う。五種の妙行の中に受持の一行尤も大切なる義は粗之れを承る。但し高祖開山を能授の師と申すは唯だ行者の安心なるべし。現に受持の師なくんば如何が有るべきか会得し難し。乞(ねがわ)くば荒々示し給へ。

答えて云く、たやすく述べ難き義なりといえども且く梗概を示めさん。委しくは経文御書に依って推察し給へ。先ず受持の師と申す破最初下種の本師なり。故に尤も師の善悪、法の邪正を揀ぶべき者なり。前に引く古事記に云く取り分け師と申す事は初発心受持の大事なり云云と。最初下種結縁を受持の師と申す事なれば容易に非ず。

至って大事なり。そもそも受持の初めより此の師に従って発心し此の師に従って成熟し、此の師に従って得脱するなり。随って師に於いて善師悪師有り。若し悪師に従えば弟子も檀那も我が身に一分の失なくとも師と倶に無量劫の間だ無間大城に堕して大苦を受けん事必定なり。国家論に(内十・四十九)云く善星比丘は仏、菩薩たりし時の子なり、○然りと雖も悪知識苦得外道値って仏法の正義を信ぜざるに依って○生身阿鼻大城に堕ちたり。苦岸等の四比丘に親近せん六百四万億の人は四師と倶に十方の大地獄を経たり(文)(次ぎ上に二経の文を引き玉ふ。往見)

御判の如くんば受持の師は能く能く吟味すべきものなり。さて悪師善師と云うは外相にはよらず設ひ高位高官にして智行兼備の師たりとも悪師あり。(所々御書に明白なり。別して外十二・三十六往見)設ひ徳は四海に斉しく智は日月に同じけれども法然弘法等の如きは皆な悪師なり。他宗のみに非ず。宗内に最も多し云云。詮ずる所は初め釈尊に遇い奉って発心せる者は生々世々釈尊と倶に生まれて成仏するなり。釈尊の所(みもと)に於いて受持する者は弥陀如来に逢って成仏すると云う理はなきなり。

故に取要抄に(内九・四ウ)に云く、釈尊の因位○此の世界の六道の一切衆生は他土他仏菩薩に有縁の者一人も之れ無し。法華経に云く(化城喩品)爾の時に法を聞き者各(おのおの)諸仏の所に在り等云云。天台云く西方は仏別にして縁異なり故に子父の義成ぜず等云云。妙楽云く弥陀釈迦二仏既に殊なり○子父成ぜず等云云と。成仏用心抄(外二十五・十七)に云く、例せば大通仏の第十六の釈迦如来に下種せし今日の声聞全く弥陀薬師に遇って成仏せず○経に云く在々の諸仏の土に常に師と倶に生ず○釈に云く、初めて此の仏菩薩に従って結縁せるは此の仏菩薩に於いて成就す云云。本従たがへずして成仏せしめ給うべし(文)と。

当に知る。薬王観音等の迹化の諸大菩薩は五百塵点劫の昔し根本の受持の師を捨てるのみならず退本取迹と申して下種の本法を捨てたる失に依って五百塵点劫の間だ多くは無間地獄、少なくは余の地獄を経て、今日寿量品を聞いて成仏し給う故に、迹化と云うなり。

舎利弗目連等の退大取小の過がに依って三千塵点劫を経給うも亦斯の如し(録内十六兄弟抄等の如し)然るに上行等の地涌千界の諸大菩薩は初発心より成仏に至るまで本師を忘れ玉はず、本法を捨て玉はざる故に本化と云うなり。妙法曼荼羅御書(内廿八・七ヲ)に云く、此の四大菩薩は釈尊五百塵点劫より已来た御弟子と成り給いて一念も仏を忘れましまさざる大菩薩を召し出して授けさせ給へり(文)と。(最初受持の師を忘れざる事分明なり)

下山抄(内廿六・四十四)に云く、五百塵点劫より一向に本門寿量品の肝心を修行し習い給へる上行菩薩等の御出現の時刻に相い当れり(文)と。(異本なり要文下十五を之れを引く)此れは(下種の本法を失わず)。

又、取要抄(内九・五ウ)に云く、此の土の我等衆生は五百塵点劫より已来た教主釈尊の愛子なり。不幸の失に依って今に覚知せずと雖も他方の衆生には似るべからず(文)と。

高祖大聖人且く本師釈尊に譲り給うといへども実には娑婆世界の一切衆生は上行の再誕蓮師大聖人が受持の本師なり。故に太田抄(内廿五・十五ウ)而るに地涌千界大菩薩○三には娑婆世界の衆生の最初下種の菩薩なり。○此れ等の大菩薩末法の衆生を利益し玉ふこと猶を魚の水に練し鳥の天らに自在なるが如し。濁悪の衆生此の大士に遇って仏種を植えること例せば水精の月に向かって水を生じ、孔雀の雷の声を聞いて懐妊するが如し(文)と。

 

問うて云く、蓮祖大聖人は娑婆世界の一切衆生の下種の導師なる事御書彰灼なれば少しも疑滞する処なし。然かれども直に大聖人に受持し奉る義如何。何様に心得申すべきか。

答えて云く、国家論(内十・五十一)に云く、然りと雖も末代に於いて真の知識無し、法を以て知識と為る多くの証有り云云と。御文の如くんば大聖人御書を以て受持の師と仰ぎ奉るべし。若し初心の人は貴賤に拘わらず、法臘に依らず、唯だ出世の道に正直に道念堅固にして本門三大秘法事の一念三千の御題目を弘める僧に従って受持すべきものか云云。

 

問うて云く、受持の法体は必ず本門三秘の御題目に局るや。

答えて云く寿量品に云く如来秘密神通之力○那由佗劫等云云と。文句九(三十一ヲ)に云く過去益物の文に二と為す。一に如来秘密従り下は執近の情を出す。○又三、一には所迷の法を出し(如来等の八字)二には能迷の衆を出し(一切等の十字)三には迷遠の謂いを出す(皆謂今の下)如来秘密等は本門の戒定慧三大秘法事の一念三千の御題目の依文なり。爾前迹門の菩薩二乗人天等此の大法に迷うが故に無始より以来た流転疆り無きなり。故に所迷の法と云うなり。二に能迷衆とは迹化の弥勒を首として一切の菩薩二乗人天等なり。三には迷遠の謂いとは迹に執して本を疑うを云うなり。此れは但だ在世の衆のみにあらず末法には一宗門の中に多々なり云云。

文句九に云く、然善男○来の下第二に執を破し迷を遣ることを明かして以て久遠の本を顕す。上の文の誠諦の誠は即ち是れ此れなり(文)と。

文の中に破執遣迷とは弥勒等の大衆本成より已後、退本取迹して、迹に執着して本を疑う故に如来、本門を説き給う事あたはず。今日漸く執迹の情を破し迷本の謂いを蕩かして三大秘法を説き顕し給うなり。唯だ五百塵点劫已来のみに非ず、無始より已来た下種の法体は本門の三秘に限るなり。設い当宗の学匠たりとも寿量品の三秘を以て受持せずんば悪師と得心すべきなり云云。

 

問う、最初受持の師は設い悪師なりとも捨つべからざるか、いかん。

答えて云く、然からず。外典に云く過(あやまり)て改むるに憚ることなかれ云云と。法を受けたる根源の師を忘れて余へ心うつさば必ず輪廻生死の禍いなるべし。但し師なりとも誤り有る師をば捨つべき義も有るべし。世間仏法の道理によるべきなり。但し正直にして少欲知足たらん僧こそ真実なるべきなれ(文)。伝教大師の行表

和尚を捨て、吾が祖の道善房を捨て給うが如し。什師は真間中山の化儀法理、宗祖に背き受持なき故、彼の門流を捨て給うなり。余門流は之れを措(お)く。予が門流は蓮祖什師に信順し奉り、亦た経文御書を如実に説き弘むる僧を受持の師と仰いで是人於仏道決定無有疑の素懐を遂ぐべきものなり。

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