法華経と釈尊との軽重。その2。

 

建治二年五月の「宝軽法重事」(昭定1178頁)に、

「人軽しと申すは仏を人と申す。法重しと申すは法華経なり。」

とありますが、西山入道の供養を称歎するために、法重の面を強調し、法華経供養の功徳が莫大であることを述べている御消息であって、釈尊は本尊にならないと言う教示などではありません。

その証拠に、同書の末に

「閻浮提の内に法華経の寿量品の釈迦仏の形像をかきつくれる堂塔いまだ候はず。いかでか顕れさせ給はざるべき」

と有ります。

「宝軽法重事」に引用されていますが、「法華文句巻第十下(釈薬王菩薩本事品)」

「七宝をもって四聖に奉るも、一偈を持つにはしかず。

法は是れ聖の師にして、能く生じ、能く養い、能く成じ、能く栄(は)ゆるは、法に過ぎたるは無し。故に人は軽く法は重し。」

とあります。

「(法華経の)一偈を持つにはしかず」とあるように、天台大師は法華経受持の功徳の大なる事を証する目的で、「法は是れ聖の師にして」云云と挙げています。

 

「法は是れ聖の師」と言う場合の「法」は真如実相(いわゆる境妙)を指すのが本義でしょうが、仏の教法、教導無くしては、凡夫は真如実相を証する事は不可能です。

故に凡夫の立場では「法」は「仏の教法」を指すものとして領解すべきです。

そこで、天台大師も法華経受持(教法受持)の功徳を証する文として「法は是れ聖の師・・・」との文を挙げたのだろうと思います。

 

「法華玄義巻第二上」に

【文に云く「諸法の如是相等、ただ仏と仏とのみ、乃ち能く究尽す」と。「実相」とは是れ仏の智慧の門なり。門は即ち境なり」】

とあります。

「実相」が有るので仏が悟るのですから、「法は是れ聖の師」といえます。

ただし「仏と仏とのみ 」と言うように、我々凡夫が直接に実相を証することは出来ないわけです。

天台大師は続いて

「如来は能く種々に分別し、巧みに諸法を説く。」

「その説く所の法は、皆悉く一切智地に到る」

の文を引き「説法妙」の引証としています。

 

我々凡夫が直接に実相を証することは出来ないから、仏の説法(教法)が起きると言うわけです。

妙楽大師が

「父母は必ず四護をもって子を護るが如し。今、発心は法に由るを生と為す。始終随遂するを養と為す。極果を満ぜしむる成と為す。能く法界に応ずるを栄と為す」(法華文句記巻第十下)

と補釈しているように、教法に由って発心し、教法に由って修行し、果を成じ(成仏し)、法界の衆生を救護する事が出来る大切なものだから、教法(経)の一偈でも受持する功徳は莫大である、と云う意味です。

 

直接に釈尊の説法を聞くことが出来ない仏滅後は特に、経法に随って釈尊の教えを受け取り、行道しなければならない故に、経法(教法)が大事となります。

教法(経法)である法華経を尊び重んじると云うことは、法華経の所説に信順することです。

「自我偈」に

「常に此に住して法を説く」

 

「我もまたこれ世の父 諸の苦患を救う者なり」

等と、釈尊は教主であり救護者であることを明言しています。

この明言が

「本門の教主釈尊を本尊とすべし」(報恩抄・昭定1248)

「釈尊は我等がためには賢父たる上明師なり聖主なり、一身に三徳を備へ給へる仏」

(下山御消息・昭定1319))

との日蓮聖人の教示に繋がっています。

「薬王品」にも

「我(=薬王菩薩)今、当に日月浄明徳仏及び法華経を供養すべし」

とあって、日月浄明徳仏及び法華経とを同等に見ていることがわかります。

これは、「また舎利を安ずることを須ひず。所以は何ん、此の中には已に如来の全身います」と云う、法華経と釈尊を一体と見る「法師品」の思想と同じです。

 

この思想が

「法華経は釈迦如来の書き顕して此の御音を文字と成し給う仏の御心はこの文字に備れり、たとへば種子と苗と草と稲とはかはれども心はたがはず。

 釈迦仏と法華経の文字とはかはれども心は一つなり、然れば法華経の文字を拝見せさせ給うは生身の釈迦如来にあひ進らせたりとおぼしめすべし、」(四条金吾殿御返事・文永九年・興師写本)

「今の法華経の文字は皆生身の仏なり」(法蓮抄・建治元年四月・曽存)

等と、法華経と釈尊とは一体であると見られた日蓮聖人の立場に繋がるのです。

 

法(法華経)を尊び重んじる事は、法華経の所説を尊び重んじることですから、法華経の教示を信順して、釈尊と法華経とを同様に重んじなければならない道理です。

 

「本尊問答抄」には、

「法華経の題目をもって本尊とすべし」(昭定1573)

と有りますが、

「妙法蓮華経の五字は経文に非ず其の義に非ず唯一部の意なるのみ」

(四信五品抄・昭定1298)

とあるように、「法華経の題目」は、法華経の意そのものであり、その法華経は

「仏の御意あらはれて法華の文字となれり、文字変じて又仏の御意となる、されば法華経をよませ給はむ人は文字と思食事なかれすなわち仏の御意なり、」(木絵二像開眼之事・昭定792)

とあるように、釈尊の御意であるから、「法華経の題目」は釈尊の御意であると云う道理です。

故に、「法華経の題目をもって本尊とすべし」とあっても、釈尊は本尊に成らない、などと蔑む意味に取ってはならない文です。

 

故に「本尊問答抄」にも

「仏は身なり法華経は神なり、然れば則ち木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし」(本尊問答抄・昭定1575)

と木像画像の開眼を認めているのです。

参考

鷲峯の風(http://homepage3.nifty.com/juhoukai/index.html

に掲載されている

「上野峡法華経講義」の「第11回」に、法と仏との関係の見方について参考になる解説がありましたので、略抄してご紹介します。

以下は引用です。

【 もとより仏と仏の説かれた法というものは別々のものではなく、本来「人法不二」といわれる通り切り離されるものではありません。ところが仏滅後の仏弟子たちは、頼るべきお釈迦さまを失い、お釈迦さまが生前に説かれた法を頼りとするようになりました。・・・

阿難尊者が仏滅後の教団の在り方(特に教団の指導者の指名)について御遺言のない間はお釈迦さまが入滅されるはずはないと思っていたことを漏らしたことに対して、・・・

「阿難よ、汝等はただ自らを灯明とし、自らを依処として、他人を依処とせず、法を灯明とし、法を依処として、他を依処とすることなく住するがよい。」と説かれたことにもよることでしょう。・・・大切なことは此処に「法を灯明とせよ」「法を依処とせよ」と仰せられた「法」とは如何なるものであるか、ということです。・・・さてここで思い起こされるお釈迦さまのお言葉は、「如是語経」の第九十二経の中で次のように仰せられていることです。・・・

 

「かの比丘は法を見ず、法を見ざる者は私を見ないからである」・・・「かの比丘は法を見るものであり、法を見るものは私を見るからである」・・・

「如是語経」は仏が何時・何処で・誰のために説かれたのか明らかではないそうですが、然しこの教えの中に「人法不二」ということを最も適切に説明されていることが思い知らされるものです。「法を見る者は我れを見る。我れを見る者は法を見る」ということ、それは仏在世当時、常随の弟子であっても法を見ない者は仏より離れて遠いものであるという厳しさを示すと共に、如何に何千年の時間を距て、何万里の空間を距ててはいても、法を見る者はそこに常住の久遠の仏を見ることが出来るという救いを示しているものであって、自我偈の中の、

○我れ常にここに住すれども、諸の神通力を以って顛倒の衆生をして、近しといえども而も見ざらしむ。

○一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜まず、時に我れ及び衆僧ともに霊鷲山に出ず。

○常にここにあって滅せず、方便力を以っての故に、滅・不滅ありと現ず。

○諸のあらゆる功徳を修し、柔和質直なるものは、すなわち皆、我が身ここにあって法を説くと見る。或る時は、この衆のために仏寿無量なりと説く。久しくあっていまし、仏を見たてまつる者には ために仏にはあいがたしと説く。我が智力かくの如し。

という経文と対照されましょう。

自我偈においては、人法不二の人(仏)が表、法が裏となっており、如是語経では人法不二の法が表、人(仏)が裏となっているにすぎません。・・・そこでお釈迦さまが涅槃の旅路において「我がなき後においても法を灯明とし、法を依処とせよ」と仰せられたその法とは当然人法不二の法ー 法を見る者は仏を見、仏を見る者は法を見るという法であることが明らかとなりましょう。・・・法 ー それは唯仏与仏のものであって、凡夫の計り知れる処ではありません。その計り知れない法を信受するには、信受せしめようとする仏の、久遠劫来の誓願行動がなければなりません。凡夫は、そのたゆみなき限りなき誓願行動によって、はじめて思議し難き法が信受せしめられるのです。・・・法のある処、そこには久遠の仏と、その仏の説法という誓願行動が実在しています。まことに「法を見る者は仏を見る」法を見る者は、そこに法を説かれている不滅の仏を見るものであり、「仏を見る者は法を見る」仏を見る者は、そこに仏の説かれている不滅の法を見るものです。】

【以上引用終わり】

 

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