後生、後報を認める仏教

○和辻・中村両博士の見解。


和辻哲郎博士が「原始仏教の実践哲学(第三章)」に、
「釈尊は無我を説いた、アートマンを否定したのであるから、輪廻の主体を認めない。当然、輪廻を認める筈はない」との見解を述べており、

また中村元博士も、
「原始仏教では、在俗信者に善行をおこなわせるために、因果応報の理をもって説いた。正しい行いををした在家の人は、天の世界に生まれる。それに反して悪業を行った者は、地獄に堕するという。こういう輪廻説ないし応報説が無我説と矛盾し、一致しがたいものであるということは、しばしば学者に指摘されているが、原始仏教はかならずしも輪廻および業の観念を排斥せず、むしろ世人の宗教的通念としていちおう許容したらしい。
では、なにゆえに許容したのであるか、というと、『来世を信じない人は、悪を行う』(Dhp.176)からである。すなわち、世人に善を行わせるために方便の教えとして説いているのである。」(原始仏教の思想1・663頁)
と論じています。

○宮坂・桜部両博士の見解。

こうした見解に対して、『スッタニパータ』の口語訳を出版した宮坂宥勝博士は
「かって和辻哲郎は『原始仏教の実践哲学』で四諦、八正道、十二因縁を釈尊の根本的立場であるとして、それらには輪廻思想の入り込む余地がないといった。しかし、輪廻転生を抜きにした仏教はあり得ないことをSn(スッタニパータ)は雄弁に物語っている。」(法蔵館刊・ブッダの教え・498頁)
と指摘しています。
また
初期佛教研究の専門学者である桜部建教授も
「(阿含部諸経に拠る限り)釈尊の仏教で輪廻転生の思想が否定されているとは、私にはどうしても考えられない。・・簡明に言い切れば、迷える者には輪廻があり、迷いを離れた者に輪廻はない、というのが、仏教の立場である」(文栄堂刊・阿含の仏教・126頁)
「経典には、我が無いと説くと共に迷える者に再有があると説いている。和辻哲郎氏のような見解は、迷いの有(輪廻的生存)は、我無くして縁起的に展開する、無明によって行ありーー生・老死ありと展開する、と見る仏教のユニークな立場を少しも理解しないところから発する議論というべきではなかろうか」(同書129~130頁)
と指摘しています。

○後生否定論者の根拠

和辻哲郎博士や中村元博士の見解を根拠にして
「後生・後報有りとの教説は、無我説と矛盾する教説であり、方便の教えであり、後生・後報有りとの教説は仏教本来の教説では無い」と主張する人がおります。

それに対しての所論を述べます。
『スッタニパータ』の第4章、第5章が原始仏典に於ける最古層韻文経典群であり、第四章第15経(935句~954句)が最も古層部分だそうです。(荒牧典俊博士・講談社刊原始仏典七410頁)

その第四章の第15経を見ると、
937句
「無限の過去以来[上は神々の存在から下は地獄の存在に至るまで、]あらゆる方位の世間的存在へと、つぎからつぎへとつき動かされて輪廻転生しているが、いかなるところにおいても世間的存在は根底的にうつろい実質がない、」

938句
「あらゆるひとびとは、あらゆる方位の世間的存在へと輪廻転生しつづけていくのである。いまもしも、その矢をさえ引き抜いてしまうならば、もはや輪廻転生することはあるまい」

との句をはじめとして「迷いの者は輪廻する」としている句が幾つもあります。

『スッタニパータ』と並んで、古い経典とされる『真理のことば』・『感興のことば』があります。
『感興のことば』の第一章23句に
「生きとし生ける者どもは死ぬであろう。生命は終には死に至る。かれらは、つくった業の如何にしたがっておもむき(それぞれ)善と悪との報いを受けるであろう。」

第24句には
「悪い行いをした人々は地獄におもむき、善いことをした人々は善いところ(=天)に生まれるであろう。しかし他の人々はこの世で道を修して、汚れを去り、安らぎに入るであろう。」
(ワイド版岩波文庫・中村元博士訳「真理のことば・感興のことば」163頁)
等とあって、随所に後生・後報(輪廻)あることを記しています。

講談社刊『原始仏典』に収録されている『長老の詩(テーラーガータ)』や『長老尼の詩(テーリーガーター)』にも、長老や長老尼の多くが、さとりの境地を得て三明を得た事を述べています。
三種の明知とは、過去世の生存を知る通力(宿明通)・透視力(天眼通)・煩悩を断じうる智慧の働き(漏尽通)のことです。

たとえば、ウッタラー尼のは
「わたしは、夜の初更に過去世の生まれを回想し、中更にすぐれた透視力を清め、後更に無知の魂を砕いた。」
と云う言葉が記され、

また、アヌルッタ長老の、
「わたしは、かって営んだところの前世のさまざまな生活を知った。わたしは天帝インドラ神として生まれ、三十三神のなかにいたのである。・・五つの徳性をを具える瞑想に住して、わたしは、輪廻のさまざまの生存、すなわち生けるものたちの生と死、来ることと去ること、そしてこのような状態とあのような状態を知った。」との表白が記されています。

長阿含経に『弊宿経第三』があります。
後世・後生無しと論じる弊宿婆羅門に対して、鳩摩羅迦葉が種々の譬えを以ていちいち答え、
「婆羅門よ。比丘ありて、初夜後夜に睡眠を損除し、精勤して懈せず、専ら道品を念じ、三昧力を以て天眼を修浄し、天眼力を以て衆生を観るに、此に死して彼に生じ、彼より此に生じ、寿命長短、顔色好醜、行に随って報を受け、善悪之趣を悉く知見す。汝は、穢濁の肉眼を以てすべからず、衆生の趣く所を徹見する能わずして便ち無しと云うなり。婆羅門よ。此を以て必ず他世ありと知るべし。」(国訳一切経・阿含部7・163頁)
と、諭しています。

また、『大智度論』にも、
「天眼の者は了了に能く見、是の人の一房より一房に出入するを見るが如く、此の身を捨てて、後身に至るも亦是の如し。」
(大智度論巻第三十八・昭和新纂国訳大蔵経論律部第五巻・98~101頁)
と、天眼を開発すれば後生・後報あることが分かると説いています。

原始仏典に、後生・後報有りと説いているのは、仏弟子達がいわゆる天眼力にて観たからでありましょう。

釈尊御入滅後283年後以降にまとめられた経との事ですが、初期佛教の資料に、中村・早島訳『ミリンダ王の問い』という、ギリシャ人王とナーガセーナ長老との問答を記録した経があります。

ナーガセーナ長老が譬えを述べながら
「大王よ、この現在の名称・形態が次の世に生まれ変わるのではありません。大王よ、この現在の名称・形態によって、あるいは善あるいは悪の行為(業)をなし、その行為によって他の新しい名称・形態が次の世に生まれあわるのです。」(123~127頁)
等と数番の問答を記しています。

現在の五薀仮和合が離散すると、乳から酪が生じるように、五薀仮和合の仮我が生じる。前の五薀仮和合と別のものであるが前の五薀仮和合より生じたものである。それ故に前の五薀仮和合の時の行為の報を受けるのであると、ナーガセーナ尊者が説明しているのです。
「雑阿含経」にも
「業と報と有るも、而も作者無し。此の陰滅しおわらば、異陰相続す」(国訳一切経阿含部1の257頁)
と有ると同じ説明です。

無我・空であると観じる立場から輪廻転生を観る点が、当時のいわゆる佛教外の思想の輪廻転生思想と異なるところです。
原始仏典に見える輪廻思想は外道の思想を取り入れたもので釈尊の教説とは異質なものであると云う意見がありますが、そう云う見解に対して、現在スリランカの上座部佛教の長老であるA・スマナサーラ長老や、誓教寺住職・藤本 晃(慈照)文学博士が反論しています。長文なので参考資料として別に掲示します。

○中論思想と後生

また、「中論」が説く無自性の思想を根拠にして、
「あらゆるものが空であり、生じる者も無く滅する者も無しだから、後生・後報は無い」
と論じる人も有るようです。

中論第十六章に「輪廻は存在しない」と論じていますが、これは勝義諦(あらゆるものは空と考察する最勝真実の道理)の立場で「輪廻は存在しない」と論証しているものです。
しかし、世俗諦では輪廻を認めています。この事は、第二十六章に「十二支(観十二因縁品)」と云う章が有って、「無明に覆われた者は、後の生存の為に、三種(善・悪・無記。あるいは身体・語・意の三種)に形成作用を作る。そ(の形成作用)の諸業によって、(未来の)生存形態へ行く」とある事より知られます。

龍樹菩薩の論である『因縁心論』に、
「問う。実体として『われ』がない事物から、同じく実体として『われ』がない事物が生じるというが、このことにどのような実例があるのか?。
答える。暗唱、灯明、鏡、印形、太陽石、種子、酸、音声によって(である)。これらの実例と仮説によって、実体として『われ』がないことと、かの世とが知られるべきである。たとえば、師が口に誦えるものが弟子に伝わるが、師が誦えることがないと伝わらない。しかも弟子が誦えるものは別のものからではない。なぜなら、無因となるからである。師が口に誦えるもののように、臨終の心も同じであって、恒常の誤りに陥るから、それはかの世に赴くのではない。しかもかの世(の心)は別のものから生じない。なぜなら、無因の誤りに陥るからである。
たとえば、師が誦えるものと、それにもとづいて弟子が誦えるものとでは、前者と後者とが別である、ということはできない。それと同じく、臨終の心とそれに依拠して生じる心においても、前者と後者とが別である、ということはできない。
同じようにして、火から灯明が生じ、面像から鏡のなかに影像が生じ、印形から捺印が生じ、太陽石から火が生じ、種子から芽が生じ、酸っぱい木の実の酸によって涎が流れ、音声からこだまが生じるのであるが、これらもまた前者と後者とが別である、ということはできない。」(中央公論社刊・大乗仏典14・龍樹集361頁)と、論ぜられているように、龍樹菩薩も命終を境に後の生存が生じると語っています。

中央公論社刊世界の名著『大乗仏典』に、龍樹菩薩の「中論第十八章」の清弁の注釈が口語訳されています。
「中観論者はすべてのものをないものとしてしまうから虚無論者と区別はない」と云う批判が提示されるのですが、それに対し、
「彼らは(虚無論者)は、因果関係を否定することに固執するのであって、道徳の根を抜き取り、非道徳な行為の限りをおこない、世間の慣行的真理をそこなうのである。
だが中観論者は因果関係は(実在はしないが、しかも)幻や陽炎があるように存在すると考えて、それを否定したりはしないし、不善の行為の道にもはいらない。
煩悩を伴った心身の流れ(すなわち人間の生存)から未来の心身がまた再生するのであり、先の心身の流れが過去に去れば、現在および未来の流れが、夢のようなありかたで生じてくるのだと教える。
だから、かの(虚無論者の)ように、世間の慣行的真理をそこなうことはない。そういうわけで、世間の慣行の立場から見ても、虚無論者と中観論者とは決して似ていないのである」(320頁)
と注釈しています。

また、同朋大学の本多恵教授の『チャンドラキールティ(月称)中論註和訳』のを見ると、
チャンドラキールティ(月称)が、
「(1)どのように恒常でないか。何故なら、死に際の諸複合体と出生にあずかろうとしている複合体とは、全く別である。死に際の複合体は、出生にあずかろうとしているものと同一でない。そうではなくて、死に際の複合体は抑止される、そして、その同じ時に、出生にあずかる複合体が出現する。故に恒常でない。
(2)どのように断滅でないか。死に際の複合体が前もって抑止される時、出生にあずかる複合体が出現するのでもなく、抑止されない(のに出現するの)でもない。そうではなくて、死に際の複合体が抑止され、その同じ時に、出生にあずかる複合体が出現するのである。秤が上下するが如し、また月の像と影像との如し。だから、断滅でない。
(5)どのように、それと似たものが継続するか。作られた業が感受されたとおりに、経験される報いが感受される。だから、それと似たものが継続する。」
(チャンドラキールティ中論註和訳・509頁・第二十六章十二支の研究)
と註釈しています。

勝義諦的には無自性で、死する者も生ずる者も実体は無いけれども後生・後報がある旨を、中観論者の代表者が語っているのです。
『大智度論』に於いても、
「是の般若波羅密の中の、種々の因縁譬喩は多くは空法を説く。新発意の者(初心者)あり、空相を取りて、是の空法に著し、生死の業因縁の中に於いて疑いを生ず。「もし一切法は畢竟空ならば、来無く、去無く、出無く、入無きの相なり。いかんが死して而も生ずる有らん。現在眼に見る法すら尚を有るべからず。いかに況や死して後、余処に生ぜんこと、見るべからずして而も有らんや」と。
是の如き等の種々の邪疑、顛倒の心を断ずるを為す。是の故に仏は種々の因縁もて広く死有り生有るを説きたまえり。・・
人の死生の如きは、来去する者無しと雖も、而も煩悩尽きざるが故に、身情意に於いて相続して更に身情意を生ず。
たとえば、乳中に毒を著けんに、乳変じて酪と為り、酪変じて酥となる。乳は酪酥に非らず、酪酥は乳に非らず、乳は酪に変ずと雖も、而も皆毒有るが如し。此の身もまた是の如し。
今世の五衆の因縁の故に更に後世を生じ、五衆の行業相続して異ならざるが故に、而も果報を受く。是の如き因縁の故に、死生有るを知る。・・

汝は天眼の明無きが故に後世を疑い、自ら罪悪に陥らんと欲す。是の罪業の因縁を遮せんが故に、種々に往生を説く。
仏法は有に著せず、無に著せず、有無にもまた著せず、非有非無にも著せず、不著にもまた著せざるなり。是の如きの人は則ち難を容れず。たとえば刀を以て、空を破せんに、終に傷つくる所無きが如し。衆生の為の故に、縁に従って説法するも自ら著する所無し、畢竟空は生死の業因縁を遮せず、是の故に往生を説くなり(略抄)」(大智度論巻第三十八・昭和新纂国訳大蔵経論律部第五巻・98~101頁)
と論じて、空思想と後生を認める事とは矛盾しない旨を記しています。
松本史郎教授も『縁起と空』の中で、
「空は仏教史においてほぼ例外なく、縁起という宗教的時間制を解体するための都合のよい理論となってきた。この空思想のもつ悪しき傾向を明確に反仏教的なものとして拒否したのが、先に見た道元の言葉だった。・・・時間性の欠如、これが空思想の致命的欠陥である」(縁起と空・336頁)
と指摘し、空思想の不理解は、業報とか三世とかの思想を軽視、否定にはしりやすいと批判しています。
道元の言葉とは「いまのよに、因果をしらず、業報をあきらめず、三世をしらず、善悪をわきまへざる邪見のともがらには群すべからず。世尊のしめしますがごときは、善悪の業つくりをはりぬれば、たとひ百千万劫をふというとも不亡なり。もし因縁にあえば、かならず感得す。・・これを不亡というなり、その報なきにはあらず」(正法眼蔵・三時業)です。
また、松本史郎教授はさらに、
「仏教の中心概念は、縁起であって空ではない。それ故、空の思想は、縁起を指示する限りにおいてのみ仏教的意義をもつ。」(縁起と空・335頁)

「中論第二十六章に説く縁起が単に時間的生起の因果関係であるにとどまらず、三世因果でもあることは再生・趣などの語によって明示されている。・・ナーガールジュナ(龍樹)が、縁起を三世因果・業感縁起として解釈したことを、縁起説の真義を把えたものと評価する」(縁起と空・370頁)
と論じています。
中論の無自性・空思想と三世因果とは相反する概念でない事が分かります。

○無実体と後生。

業感縁起論をさらに深めたのが阿頼耶識縁起論です。
部派仏教では、業因縁によって変化して行くが個的であるので、その個的な連続性のもとになる芯のようなものを細意識を立て、普通の意識は消滅変化するが細意識は常住なので種子(引果の功能といって結果を導き出す力)を保って行くと考えました。
しかし、部派仏教では六識しか立てないので業報の説明に不備があり、そこで阿頼耶識説た起こり、その欠点を補った。と言うのが教理史として指摘されています。
無我、実体のないものがどうして輪廻するのか?についての説明として,唯識派は、実体ではないが輪廻するものとして、阿頼耶識(八識)を想定しています。単なる理論のつじつま合わせで八識を想定したのではなく、禅定三昧中の体験も基になっている、と言われています。

阿頼耶識の特性は、
1,潜在性。我々の普通の意識では了別できない。
2,習慣性。善業を行えば重ねて善行をしたくなる、悪行を重ねると悪行をしたくなるという習慣性の働きをする。
3,引果性。因に応じた果を引く作用力がある。
4,永続性。過去より現在、現在より未来へと永劫にわたって断絶しない性質がある。
等と説明されています。

解説書をみますと
「日常生活で善業、悪業の様々な行為をするが、それが八識のフイルムに、形を変えて潜り込んでしまう。死んでもそのフイルムは消滅しない。肉体は元素に帰るが、精神は八識のフイルムと残る。八識は次のいのちの種になるカルマの集まったもの、いろいろなカルマのご縁によって成り立っている。マナ識(七識)、意識、五感、五体を持ったいのちを生み出す種を蔵した蔵のような心。」
と説明されています。

初期佛教の輪廻思想は、簡単に言えば、迷いの衆生は、不変の霊魂はないが縁によって変化して続いてゆくと言う思想です。
その後、唯識思想に於いて、前の五薀仮和合から新しい五薀仮和合の心身を受ける原動力として阿頼耶識の存在が考えられたのです。
五蘊仮和合・無我であるからこそ変化しながら続く即ち後生ありと云う見解や、また、永続する霊魂を立てないで、八識(蔵識)を立てて後生・後報有る事を説く唯識思想は「常見」では無いでしょう。

「涅槃経」にも
「若し、善男子善女人の能く身、口、意業を修治する有らん。捨命の時、親族有りて其の尸骸を取りて或いは火を以て焼き、或いは大水に投じ、或いは塚間に棄て、狐狼禽獣競うて共に食啖すと雖も、然も心意識即ち善道に生ず。而してこの心法、実は去来無く亦至る所無し。直ちに是れ前後相似相続して相貌異ならず。是の如きの言、即ち是れ如来秘密の教なり。」(第十巻・第十八現病品)
とあります。
これらは明確に、次生の有ることを語っている経文です。

仏教では、人間死ねば心身ともに断滅するという見解を断見と称します。
1,今生で行った業が、すべて今生中に報果を現し終わり、業が全く消滅して死を迎えることは無い。
2,因あれば必ず果有りという事から云えば、今生を因として後報としての後生があると想定しなければならない。
この二つの理由から死後、断滅することはないと考えるわけです。
今生で報が現れない業。
次生・未来世に報が現れる業。
いつ報が現れるか不定の業
との三種の業の現れ方を想定しないと、因果の理法が厳然として働くという事が云えなくなります。故に後生有ることを想定して初めて因果の道理があると云えるわけです。

業報論は、言葉を換えれば因果の法(縁起の法)を説くものです。生前中だけ見ると、善行が生前中に報われない人もいれば、その反対に悪行の人でも財力・健康に恵まれて此の世を終わる人もいます。ですから死後に消滅し無になるだけとすると、因果の道理など有るはずがないと言う結論になります。おとぎ話的な輪廻転生を信じる必要はないけれど、三世を認めないと、因果の理法を否定せざるを得なくなります。

空間的因果すなわち相依相関の縁起論こそ仏教の因果論だとし、個人の身の上の業報とか三世とかの思想を佛教本来の思想ではないと主張する人も多いようです。
相依相関の縁起(空間的因果)と云うか、確かに個人の行いは社会周囲にその影響を与え残すでしょうが、行為当事者個人の身の上の未来(後生を含む)に応報を招くと云う時間的因果の三世因果を無視したら仏教の因果論で無くなってしまうでしょう。

後生を認めない立場は、
生々世々修行を続けて大菩薩と成り、衆生を教導救済続ける菩薩の霊的存在や、大善業に報われて諸天善神となった諸天の存在を否定する思想につながります。
また仏道修行によって、死後、浄土や悟りの世界に入ったり出来ると云うことも否定する思想につながります

五陰和合・因縁所成の仮我である私ですが意識活動があります。
倶舎論では死後に生ずる中有身は五根を具していると説明されていますので、私は中有身(霊的存在)も五陰和合・因縁所成の仮我であるから意識があるのだろうと想像しています。

パーリ仏典の小部に、成立は後期に属するとされていますが、
『餓鬼事』と云うお経があります。
サーリプッタ(舎利弗尊者)の母が餓鬼の世界に生まれて飢えと渇きに苦しんでいた。「子よ。我が為めに布施せよ。布施をなして、われに施を向けよ」と訴えたので、サーリプッタは友とはかって、四つの小屋を作って、その小屋と食べ物を僧伽に布施し、施を向けたところサーリプッタの母は苦患が救われた。
と云う話しなどが記されています。
『餓鬼事』と云うお経では、霊体に成っても現世に居る子を判別出来ると考えていることがわかります。

私は後生に関して話す際、いちいち阿頼耶識だ云々と説明は面倒なので、心意識とか霊魂とかの言葉を使いますが、アートマン有りとしているのではありません。

○十四無記。

「十四無記といって、釈尊は死後の存続について答えなかった。だから後生・後報有ることを認めていなかった」と主張する人も居ますが、普通の認識能力では認識できない霊的存在の様子は如何なるものか?と云うような事柄を、想像推測でああだこうだと論議することや、自己の修道を行わないで形而上の議論をすることは無意味であるし、禅定を修行し三昧発得すればいわゆる三明力が生じ、死後の生存、存続(不連続の連続と云うような存続のありかた)は、自ずと認識出来るだろうと云うお考えに立って置答されたのでしょう。

参考資料
(1)A・スマナサーラ長老の見解。

インドの聖者は超能力で過去背世を知った

 しかし、古代インドの世界になると少々事情が変わります。インドではこころを集中して、時空関係を超えてさまざまなものを認識できる能力を獲得した人が大勢いました。・・・ インドの社会では宗教に励む人が精神的な修行をして、認識の範囲をものすごく広げてみたのです。居ながらにしてその場所にないものを見たり聞いたりする能力を開発して、認識の次元を伸ばしたのです。現代風に言えば超能力です。普通の人間の能力を超越したのです。それは修行によって、訓練によって得たものです。そういう人々が初めて、死後の世界、というよりは過去の世界について語り始めた。それはほとんど自分白身の過去のことなのです。「自分は過去世でこんなふうに生きていました」と。そこで過去世があるのだから、推測によって未来世もあるだろうと言い出したのです。
過去世のビジョンは妄想なのか
 このような理由で、古代インドの宗教家が語った死後の世界は、単に死への恐怖から考えついた妄想と簡単に切り捨てることはてきないのです。彼らは宗教家でしたし、現代の宗教家のように商売のために宗教を始めた人々でもなかったのです。インドには、人間は年をとったら財産を捨てて、家族も捨てて、真理を求めて歩き回るのが理想であるとする精神的な文化がありました。だから弟子をたくさん集めるためでもなく、有名になるためでもなく、ただ真理・真実を知りたくて、財産も家族も全部捨てて歩いたのです。あっちこっちを歩いていろんな修行法を試して、超越した能力を得た人もいたし、得られなかった人もたくさんいました。そういう人々がわざわざ嘘を言って私たちをダマしたというのは、ちょっと理屈には合わないのです。・・・

輪廻転生はヒンドウー教の借りものか

 ここでひとつ指摘しておきたいポイントがあります。現代社会には、輪廻転生の思想はもともとヒンドゥー教の教えで、仏教でいう輪廻転生はヒンドゥー教から借りたものだという説が広まっています。でも、これはちょっと調べてみるとおかしな主張なのです。なぜならば、ヒンドゥー教の最も古い経典はヴェーダ聖典です。ヴェーダはいまから約三千年前には成立していた仏教より古い教えなのですが、そのヴェーダ聖典のどこを探しても、輪廻とかカルマ(業)といった概念は見当たらないのです。だから文献学的な立場からも、仏教は輪廻転生の教えをヒンドゥー教から借りたとは、簡単には言えないのです。ヴェーダ聖典の時代の宗教はバラモン教といって、神々をほめたたえる祭祀が中心でした。それも、火も空気も水も雷も、人間よりも力が強いような存在は何でも神さまなのです。そういう神々を対象にして、自分の現世の幸福を得るために、さまざまな恐怖感を乗り越えるために、ヴェーダを唱えたりお供えをしたりしていました。
 その一方でヽこれは発掘によって解明されていることですがヽアーリヤ人に滅ぼされたモヘンジョダロ、ハラッパーといった古代インダス文明には、精神的な修行をする伝統もあったのです。インダス文明の宗教と、アーリヤ系のヴェーダの宗教とは、まったく違う流れなのです。ヴェーダ聖典には瞑想する人々をからかってバカにしている箇所も出てきますから。
 アーリヤ人が支配する社会では、瞑想修行をする人々は批判されていましたが、しだいに一般の人々が、彼ら修行者の生き方を評価するようになったのです。・・・お釈迦さまが菩提樹の下で悟りを聞かれたことは有名ですが、モヘンジョダロの遺跡からは木の下で人が瞑想している形の四角いシールが見つかっています。昔からインドの社会では、真剣に修行して超能力を得た人々が、人間は死んでそれで終わるのではないと、自分の超越した休験にもとづいて言っていたのです。
 そういう修行者・仙人たちの教えがバラモン教に取り入れられ、インドの主流宗教であるヒンドウー教として形成されたのは、お釈迦さまが輪廻転生について明確に説明されたずうっと後のことです。だから、仏教がヒンドウー教の教えを取り入れて輪廻転生を説き始めたというのは、ちょっと成り立たない話なのです。
 お釈迦さまは決して、誰かの受け売りで教えを語ったわけではないのです。説かれたことはすべて、ご白身で超越的な智慧でお知りになったことだったのです。しかも、お釈迦さまはその知識のすべてを語ったわけでも決してありません。
 あるときお釈迦さまは、大きな森の前で落ち葉を手ににぎると、弟子たちにこう話されました。
「自分が知っていることはこの巨大な森ほどたくさんありますが、あなた方に教えたのは、この手のひらの上の葉っぱほどのことです」とっそのことばにつづけて、「私はあなた方が苦しみをなくして解脱するために必要なことは、すべて教えています」ともおっしやったのです。だから輪廻転生についても、ブッダは解脱するために必要な観点から、経典の随所でチラチラと教えているのです。

古代インド思想をすべて網にかける

 お釈迦さまのことばを伝えているパーリ聖典では経典を五種類に分けて編集していて、その第一は長部経典(ディーガニカーヤ)といいます。その長部経典に収められた最初のお経は『梵網経(ブラフマジャーラスッタ)』です。この長い経典のなかで、お釈迦さまは古代インドにあったとされる六十二種類の宗教哲学を分析しています。その経典では六十二種類の宗教哲学を大きく分けて、過去を超能力で見て宗教哲学を論じる人々と、未来を考えて宗教哲学を論じる人々との二つのカテゴリーに分類してあります。過去を見て宗教哲学をつくったものだけで四十四種類あります。面白いことに、お釈迦さまはこの六十二種類の教えが正しいとは言わないのですが、頭から間違っているとも言ってはいません。
 お釈迦さまは、行者たちがさまざまな行をして、超能力を得て自分の過去を観察して、このような教えを話しているのだとおっしやいます。一度も「これはインチキだ」とは言っていないのです。確かに彼らは何劫年も自分の過去を見るのだとおっしやいます。この劫年というのは宇宙の時間であって、ひとつの宇宙ができあがって消える間を一劫年と計算するのです。ちょっとした時間ではないのです。その宗教家の人々は自分の過去を四十劫年まで見るのだと。だいたい過去を見られる長さはそれぐらいまでのようです。そこまで見ても、自分がどこかで何らかの形でいたということを発見する。発見して哲学を語るのです。お釈迦さまは、彼らが発見したものが正しいと認めるけれど、それを哲学的に語る部分だけを批判します。
 ひとつは、どこまで過去を見ても自分はそこで生まれているでしょう。そうすると過去世を観たその仙人は「やっぱり魂は永遠だ」「物質的な財界も永遠だ。変化しないのだ」と決めて、そこから哲学を作ってしまいます。お釈迦さまはそれに対してケチをつけるのです。仙人が自分の過去世を観たことについては何も言わない。あったことを観たのだから仕方がないでしょう。だからといって「世界は永遠だ、魂は永遠だ」と言うのはちょっと言い過ぎだと。
 ある人が自分の過去を見たところで、何劫年も過去を見ていると、ある時点でぶつかってしまうのです。それ以前の世界はぜんぜん見えない。そうするとその人は、「なるほど、私はこんなに超能力を得て明晰に過去を見ているのに、この時限になったらぶつかってしまう。ということは、世界も私の魂もそこでいきなり偶然生まれたのではないか。いったん生まれてから、魂は永遠に生きつづけているのではないか」と決めつけてしまうのです。お釈迦さまはそれにちょっとケチをつけます。過去を見たことは正しいし、どこかでぶつかったことも正しい。しかし、だからといって偶然に魂が生まれたとは言えないのだと。
ことば遊びの哲学は認めない。お釈迦さまの批判は少々ややこしいのです。仙人たちの超能力はすべて認めたうえで、超能力から導き出した結論だけはよくないと言う。
(国書刊行会刊・ A・スマナサーラ著「死後はどうなるの?」(23~45頁抄出)

参考資料(2)
日本テーラワーダ佛教協会教誌パティパダー2005年4月号掲載。
誓教寺住職・藤本 晃(慈照)文学博士「悟りの階梯」より抄出。

O「悟り」や「輪廻」はインド共通の「思想」?

 それでも釈尊以降のインドでは、「輪廻からの解脱」など「悟り」に関係ありそうな文言が、いろいろな宗教の文献に見られるようになりました。
 釈尊以前には、そんな言葉はどの宗教にも見られなかったのです。と言っても、釈尊の時代以前から伝わっていた宗教文献自体がほとんどなく、口頭伝承のヴェーダくらいのものでした。
 ヴェーダは、釈尊の時代以前からバラモンたちの間で唱えられ伝えられていた、インド最古の宗教文献です。現在では第四のアタルヴァ・ヴェーダを加えて四ヴェーダを数えますが、釈尊の時代にはまだ三つだけが成立していました。リグ・ヴェーダ、サーマ・ヴェーダ、ヤジュル・ヴェーダです。これらヴェーダは、王族に仕えるバラモンたちが王族の祭祀を執行する時に唱える「祝詞」で、内容は神々や自然を讃えたり祈ったりするものですから、「輪廻」や「悟り」が、その「思想」も言葉さえも見られないのは当然です。
 ところが釈尊の時代以後に製作され始めた、バラモン教のみならず全インドを代表する宗教哲字書と言われているウパニシャッド文献群には、その最初期のものに既に「輪廻」やそれからの「解脱」を説くかのような文言が、僅かですが見られます。
ウパニシャッドの中の最初期のものに「輪廻と解脱の思想」の断片が見られ、でもその説明は短か過ぎて曖昧で不明瞭ですので、現代の学界では「ウパニシャッドが製作された時代から芽生えて徐々に発展した、インド共通の「輪廻と悟りの思想』が、後に仏教にも取り入れられ、やがて仏教で精密な体系に調えられた」と見ています。
 でもそう結論する理由は、他愛のないものです。仏教の輪廻や悟りの教説が理路整然として体系的なのに対して、ウパニシャッドのものが未整理で不明瞭で原始的だからという、ただそれだけのことなのです。
そこには、機械や文明の発展と同様に「思想」も、始めは原始的なレペルのアイデアが徐々に発展して体系化するはずだという「進化論」的思い込みがあるのでしょう。でも事実はそうではありません。

 ウパニシャッドとは「側に仕える、座る」という意味で、パラモンたちが代々師匠から聞き伝えた教えを集めたものです。教えと言っても主としてヴェーダの解説ですから「祝詞」の説明の域を出ないはずなのですが、どうしても当時流行り始めた仏教やその他のいろいろな哲学・宗教の影響が入ります。それで総合的に何でもある文献のような感じになりますが、どれもただ聞いたもので、自分で体験したり発見したわけではありません。
ウパニシャッド文献群は何百年もかけてたくさん製作されましたが、その最初の一本から既に、自分の体験ではなく、ただの聞き伝えなのです。
 そのウパニシャッドの、最初の一本とされるチャンドーギャ・ウパニシャッドに、「輪廻」と呼ぶには稚拙な、天と地上を死後の魂が往復する思想が説かれていますが、それさえも、もともと王族のみに伝わる教えだったものを、バラモンが頼み込んで教えてもらったものです。正直なバラモンたちが、王やバラモンの名前も、教えを聞くに至った経緯までも記録しています。そんなわけですから、釈尊の体験に基づく輪廻と悟りの教説以前には、「輪廻」も「悟り」も、インドでさえその内容は知られていなかったのです。

○悟りも輪廻も釈尊が体験した事実

 そもそも、悟りも輪廻も、釈尊や他の宗教家たちがまず素朴なアイデアを出し、それからインド中で頭をひねって徐々に複雑に体系付けて完成させた「思想」なのではありません。
輪廻は、もともと輪廻し続けているのに誰も気付かなかった明らかな事実、それからの解脱・悟りも、やってみれば悟れた人だけが体験として分かった明らかな事実です。その事実を、今の世界では釈尊が初めて体験し、体験したその内容を何とか言葉にして説明しただけです。言葉を練り上げる「思想」ではなく、単なる事実ですから、それまで全く知られていなかった内容が、釈尊が初めて体験して分かったところで、すぐに、その精密な階梯を順序立てて詳しく流暢に説明できたのです。
 現代の学界でも、歴史を調べれば調べるほど、どのウパニシャッドも釈尊より後に製作されたことが分かり、現在では「ウパニシャッドの最初の二本だけは釈尊より古いはず」というところまで譲歩しています。でも、その二本もいずれ、釈尊より後に作られたと認められるでしょう。
 何よりも、初期経典を読むと、どのウパニシャッドも釈尊より新しいものであることが分かるのです。経典の中で釈尊は、三ヴェーダの名は何度も挙げていますが(第四のアタルヴァ・ヴェーダはまだ製作されていませんでした)、ウパニシャッド文献のことは、何もおっしやっていないのです。
 釈尊は三ヴェーダを製作した十大仙人の子孫であるバラモンたちと知り合いで、十大仙人の釈尊当時までの家系や仙人たちの生活状況も、バラモンのある家系が釈迦族の奴隷を先祖とすることまで、何でもご存じでした。その知識の多くは、王族として釈迦国の王子であった頃に学ばれたもの、さらには、出家してから悟りを開かれるまでの六年間の遊行時代に学ばれたものです。悟りを聞かれてからは、十大仙人の子孫を含む名高いバラモンたちが、釈尊のもとに教えを乞いに訪れて、釈尊と交況していました。そんな釈尊が、バラモンたちがその当時既に製作していたなら、ウパ二シャッドのことだけたまたまご存じなかったということは、あり得ません。

 釈尊が入滅された後に、釈尊が初めて説かれた輪廻や悟りの教えを基にして、ウパ二シャッドの「思想」や文章が製作されたのです。
でも輪廻や悟りは、どうせ悟りを体験しないと分かりませんし、「我」を説くバラモン教が絶え間なく「輪廻」転変する心を説くのも自己矛盾ですので、ウパニシャッドでは、ずっと後代に製作された文献でも、「輪廻」や「悟り」の文言は相変わらず短くて曖昧で不明瞭で中途半端なままなのです。
 「悟り」の言葉だけはインドで古くから知られていましたが、その内容めいたものがインドの文献に少しでも触れられるようになったのは、全部、釈尊が初めて明らかにされてから後のことです。それも、仏教以外のものは稚拙な喩え話程度のものです。
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