妙法五字と法華経の末法為正

ある人から、
【日蓮正宗では『釈迦仏の説いた法華経ではなく、南無妙法蓮華経が永遠に衆生を救い続けるのです』と主張しています。その文証として『高橋入道殿御返事』を挙げてきます。一品二半、寿量品(本門法華経)が末法に必要だと説いている御書があることは知っていますが、『高橋入道殿御返事』に限定すれば、『妙法蓮華経の五字以外は、法華経といえども、末法には衆生の病の薬とはなるべからず』と読めてしまいます。どのように考えたらよいのでしょうか?】
との質問がありました。
以下はこの質問への応答です。

『高橋入道殿御返事』の文とは、
「末法に入りなば迦葉・阿難等、文殊・弥勒菩薩等、薬王・観音等のゆづられしところの小乗経・大乗経並びに法華経は文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず。いわゆる病は重し薬はあさし。その時上行菩薩出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生にさづくべし。」との文ですね。この文を大石寺系教団ように「釈迦の説いた二十八品の法華経は、末法には役に立たない、妙法五字だけが末法の衆生を救う働きを持っている」と解釈してしまうのは恣意曲解そのものです。
「御書は御書を以て釈すべし」という方針が鉄則です。他の重要御書を参照して「高橋入道殿御返事」の文を解釈しなければなりません。

『観心本尊抄』に、
「此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず何に況や其の已外をや但地涌千界を召して八品を説いて之を付属し給う、」(247頁)
とあるように、日蓮聖人弘通の妙法五字は、本門八品において説かれた本門の肝心であることがわかります。
『高橋入道殿御返事』の文は 、いわば、迹化菩薩に譲られた法華経の法門と、本化菩薩に譲られた本門の肝心との対比ですね。

『高橋入道殿御返事』では「薬王菩薩に譲られた法華経の法門では末法に不適当で衆生救済の働きが無い」と言う意味です。
「薬王菩薩に譲られた法華経」とは、薬王菩薩の応現である天台大師が広めた法華経の法門のことです。
迹化菩薩が広めた法華経法門と本化菩薩が弘宣した法華経法門の基になている法華経そのものも末法無益であると否定した教示ではありません。
天台大師所弘の法門について、
「像法の中末に観音薬王南岳天台等と示現し出現して迹門を以て面と為し本門を以て裏と為して百界千如一念三千其の義を尽せり、但理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊未だ広く之を行ぜず所詮円機有つて円時無き故なり。」(『観心本尊抄』253頁)

「日蓮が法門は第三の法門なり、世間に粗夢の如く一二をば申せども第三をば申さず候、第三の法門は天台妙楽伝教も粗之を示せども未だ事了えず所詮末法の今に譲り与えしなり」(『常忍抄』981頁)
と、評しているように、天台大師は、百界千如一念三千の法門をそうとう深くまで解明したけれども迹面本裏の法門であり、事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊を説いていない法門でり、第三の法門を大まかにしか解明していない法門であるから末法相応の法華経法門では無いのです。

大石寺系教団のように、「釈迦の説いた法華経は末法には無益であると高橋入道殿御返事には教示してある」と解釈しては大間違いです。
大石寺系教団の解釈は、次に挙げる諸御書の文と完全に矛盾しています。
「迹門十四品の正宗の八品は・・・再往之を勘うれば凡夫正像末を以て正と為す正像末の三時の中にも末法の始を以て正が中の正と為す、・・・再往之を見れば迹門には似ず本門は序正流通倶に末法の始を以て詮と為す」(観心本尊抄249頁)

「方便品より人記品に至るまでの八品に二意有り上より下に向て次第に之を読めば第一は菩薩第二は二乗第三は凡夫なり、安楽行より勧持提婆宝塔法師と逆次に之を読めば滅後の衆生を以て本と為す在世の衆生は傍なり滅後を以て之を論ずれば正法一千年像法一千年は傍なり、末法を以て正と為す末法の中には日蓮を以て正と為すなり、・・・本門に於て二の心有り一には涌出品の略開近顕遠は前四味並に迹門の諸衆をして脱せしめんが為なり、二には涌出品の動執生疑より一半並びに寿量品分別功徳品の半品已上一品二半を広開近顕遠と名く一向に滅後の為なり、・・・寿量品の一品二半は始より終に至るまで正く滅後衆生の為なり滅後の中には末法今時の日蓮等が為なり」(法華取要抄334頁)

「序正の二段は且らく之を置く流通の一段は末法の明鏡尤も依用と為すべし、而して流通に於て二有り一には所謂迹門の中の法師等の五品二には所謂本門の中の分別功徳の半品より経を終るまで十一品半なり、此の十一品半と五品と合せて十六品半此の中に末法に入つて法華を修行する相貌分明なり」(四信五品抄338頁)

「法師宝塔提婆勧持安楽の五品は上の八品を末代の凡夫の修行す可き様を説くなり、又涌出品は寿量品の序なり、分別功徳品より十二品は正には寿量品を末代の凡夫の行ず可き様を傍には方便品等の八品を修行す可き様を説くなり・・・法華経は正像二千年よりも末法には殊に利生有る可きなり、問うて云く証文如何答えて云く道理顕然なり、其の上次ぎ下の文に云く「我が滅度の後後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶せしむること無し」等云云、此の経文に二千年の後南閻浮提に広宣流布すべしととかれて候は第三の月の譬の意なり、此の意を根本伝教大師釈して云く「正像稍過ぎ已て末法太だ近きに有り法華一乗の機今正しく是れ其の時なり」等云云、正法千年も像法千年も法華経の利益諸経に之れ勝る可し然りと雖も月の光の春夏の正像二千年末法の秋冬に至つて光の勝るが如し。」(薬王品得意抄1499頁)

等と、法華経は末法の衆生の為めに説かれている経である旨を日蓮大聖人は語っています。

どういう理由で法華経が末法有益の経であるかといえば、日蓮大聖人弘宣の三大秘法は法華経に説き留められているからです。
日蓮大聖人弘宣の法門は、法華経に説き留められているという事は次に挙げる諸御書の文で明らかです。

「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり、竜樹天親知つてしかもいまだひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり」(開目抄189頁)

「此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず何に況や其の已外をや但地涌千界を召して八品を説いて之を付属し給う、其の本尊の為・・」(観心本尊抄247頁)

「仏滅後に迦葉阿難馬鳴竜樹無著天親乃至天台伝教のいまだ弘通しましまさぬ最大の深密の正法経文の面に現前なり、」(撰時抄272頁)

「此の法門は妙経所詮の理にして釈迦如来の御本懐地涌の大士に付属せる末法に弘通せん経の肝心なり、」(当体義抄送状519頁)

「寿量品の自我偈に云く「一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず」云云、日蓮が己心の仏界を此の文に依つて顕はすなり、其の故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事此の経文なり秘す可し秘す可し」(義浄房御書892頁)

「今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給いて世に出現せさせ給いても四十余年其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し神力品属累に事極りて候いしが、・・・我五百塵点劫より大地の底にかくしをきたる真の弟子あり此れにゆづるべしとて、上行菩薩等を涌出品に召し出させ給いて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給いて、あなかしこあなかしこ我が滅度の後正法一千年像法一千年に弘通すべからず、末法の始に・・・」(新尼御前御返事905頁)

「正しく久遠実成の一念三千の法門は前四味並びに法華経の迹門十四品まで秘させ給いて有りしが本門正宗に至りて寿量品に説き顕し給へり、此の一念三千の宝珠をば妙法五字の金剛不壊の袋に入れて末代貧窮の我等衆生の為に残し置かせ給いしなり、」(太田左衛門尉御返事1016頁)

「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり、秘す可し秘す可し。」
(三大秘法禀承事・1023頁)
以上挙げた諸御書を拝見すれば、日蓮大聖人弘通の法門は法華経に説き留められているということが分かります。
末法相応の法門が説き込められているからには「法華経は末法に用の無い経だ」などと言えるわけはありません。

故に、
「御菩提の御ために法華経一部自我偈数度題目百千返唱へ奉り候い畢ぬ。」(上野殿母尼御前御返事1568頁)とか、

「今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時題目の光無間に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり、」(御義口伝712頁)
ともあるように、日蓮大聖人は、追善回向の際には、お題目だけでなく自我偈や法華経を読経されています。

また、「法華経一部御仏の御六根によみ入れまいらせて生身の教主釈尊になしまいらせてかへりて迎い入れまいらせさせ給へ、」(真間釈迦仏御供養逐状950頁)とも、
「然れば則ち木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし」(本尊問答抄366頁)
とあるように、釈尊像開眼の際には法華経を読誦されたことが分かります。
もしも法華経が末法には役に立たないものであったとしたら、追善回向や開眼供養の際は法華経に限るなどと教示するはずはありません。
大石寺系教団では、
「今末法に入りぬりば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし、かう申し出だして候もわたくしの計にはあらず、釈迦多宝十方の諸仏地涌千界の御計なり、此の南無妙法蓮華経に余事をまじへばゆゆしきひが事なり」(上野殿御返事1546頁)

「末法の始の五百年に法華経の題目をはなれて成仏ありといふ人は仏説なりとも用ゆべからず」(上野殿御返事1556頁)

とのを文証として「大聖人が法華経は役に立たないと言っている」と言い張ります。
しかし、大石寺系教団のように解釈すると、先にも提示した『上野殿母尼御前御返事』の「御菩提の御ために法華経一部自我偈数度題目百千返唱へ奉り候い畢ぬ。」や、『御義口伝』の「今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時題目の光無間に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり、」等の教示と矛盾してしまいます。

この「法華経もせんなし」と評される法華経とは、天台大師等が弘宣した迹面本裏の法華経行法・法門を指しているのです。天台大師等の知見を通して読む法華経二十八品のことです。
日蓮大聖人の知見を通して読んだ二十八品の法華経を指した言葉ではありません。
日蓮大聖人の知見によって見た二十八品の法華経、特に本門八品は、上にすでに述べたように、寿量品の事の一念三千の三大秘法が説き置かれている法華経だから「法華経もせんなし」との評価を受けるはずはありません。

末法においては法華経修行の正行は唱題(妙法五字の受持)でなければならないから、
「此の南無妙法蓮華経に余事をまじへばゆゆしきひが事なり」
「末法の始の五百年に法華経の題目をはなれて成仏ありといふ人は仏説なりとも用ゆべからず」
と教示されているのであって、日蓮大聖人の知見に遵って読む法華経そのものまで、「捨てよ、用いてはならない」などと言う意味などではありません。
『忘持経事』には
「忘れ給う所の御持経追て修行者に持たせ之を遣わす。」(忘持経事976頁)
とあります。富木殿が法華経を持経としていたと云うことは、富木殿が唱題だけでなく法華経も読誦していたことを意味します。
また『忘持経事』には、
「一菴室を見る法華読誦の音青天に響き一乗談義の言山中に聞ゆ、」(忘持経事977頁)
とあって、身延の御草庵では法華経が読誦されていたことが分かります。
また、『下山御消息』には、
日蓮大聖人の説法を聴聞してからは「阿弥陀経を止めて一向に法華経の内自我偈読誦し候又同くば一部を読み奉らむとはげみ候」(下山御消息343頁)とあります。

また、「方便品の長行書進せ候先に進せ候し自我偈に相副て読みたまうべし」(曾谷入道殿御返事・1025頁)

「されば常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候へ、又別に書き出してもあそばし候べく候、」(月水御書・1201頁)
とあるように信徒に法華経読誦を勧めています。これらの御書から推測すると、日蓮大聖人が「法華経は役に立たない。読誦しても無益である」などと説法していたことなどあり得ないと断言できます。

「品品の法門は題目の用なり体の妙法末法の用たらば何ぞ用の品品別ならむや、」(御義口伝巻下766頁)との文や、「今日蓮等の弘通の南無妙法蓮華経は体なり心なり廿八品は用なり廿八品は助行なり題目は正行なり正行に助行を摂す可きなり云云。」(御義口伝巻下794頁)
との、『御義口伝』の考え方が、妙法五字唱題と二十八品の法華経との関係についての日蓮大聖人のお考えを伝えていると云えるでしょう。

『観心本尊抄』に、
「末法の初は謗法の国にして悪機なる故に之を止めて地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う」(250頁)
『法華取要抄』に、
「末法に於ては大小権実顕密共に教のみ有つて得道無し一閻浮提皆謗法と為り畢んぬ、逆縁の為には但妙法蓮華経の五字に限る、例せば不軽品の如し我が門弟は順縁なり日本国は逆縁なり、」(336頁)
とあるように、末法のはじめ五百年の衆生は大判的に言えば、逆縁の機根、本と未だ善有らずの者ばかりだから、本門寿量品の肝心南無妙法蓮華経の五字を強いて聞かせ下種結縁しなければならないと言うのが日蓮聖人のお考えです。
本未有善すなわち未下種の者・逆縁の機根の者の救済する立地点からの指摘が「但だ妙法蓮華経の五字に限る」とか「今末法に入りぬりば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」と言う
教示です。
『法華取要抄』に「我が門弟は順縁なり」とあり、弟子信徒となった人たちは順縁すなわち本已有善の機根です。順縁(本と已に善ある者)は少数ですが居たのです。順縁の者には助行として法華経読誦を許されたのです。

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