読誦・書写謗法との主張は祖意に反する


興門の『日興上人御伝草案』では、「一部八巻如法経は末法に入ては謗法たるべき事」の項に於いて、神力品の「我等も亦自ら是の真浄の大法を得て、受持・読誦し解説し・書写して之を供養せんと欲す」の文と、「要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法・如来の一切の自在の神力・如来の一切の秘要の蔵・如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す。是の故に汝等如来の滅後に於て、応当に一心に受持・読誦し解説・書写し説の如く修行すべし」との文を経証として挙げて、「末法には五字に限って修行すべしと見えたり」と断じ、「日蓮は広略を捨てて肝要を好む所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり、肝要を取つて末代に当てて五字を授与せんこと当世異義有る可からず」との『法華取要抄』の文証としています。
現在でも大石寺系では「法華経書写や法華経読誦は謗法である」などと主張しづけています。
辞書では「如法経」を「藤原時代より盛んになったもの。『叡岳要記』には、一字三礼をもって妙法蓮華経を書写し十種供養を遂ぐ云々、とあり。之れを如法経供養と云う。経説に定められた作法の如く書写し、作法の如く供養するので如法経と言う」と説明していますが、天台宗のこうした如法経は末法不相応であって、修すべきでない事はいうまでもありません。
結論を言えば「妙法五字受持信唱は正行であり、読誦・解説・書写等は助行であり、必要に応じての読誦・解説・書写等は決して謗法であるなどと否定すべきではない」と云う事です。
 
「地引御書」(弘安四年11月・身延曾存。)
に「三十余人をもつて一日経かきまいらせ並びに申酉の刻に御供養すこしも事ゆへなし・・・ただし一日経は供養しさして候、」(1894頁)とあるので、大聖人は、天台宗の如法経とは異なる意味合い意識をもって、書写をされたのでしょう。
 
また「法蓮抄」(建治元年4月・身延曾存)に
「五種法師の中には書写は最下の功徳なり、何に況や読誦なんど申すは無量無辺の功徳なり、今の施主十三年の間毎朝読誦せらるる自我偈の功徳は唯仏与仏乃能究尽なるべし、」(949頁)
とあって、書写の功徳も認めており、読誦の功徳も大きいとしています。
 
印刷出版が遅れていた大聖人御在世においては、法華経広布の為めにも書写行は必要であったことでしょう。
 
「忘持経事」(建治二年3月・真)にも
「一菴室を見る法華読誦の音青天に響き一乗談義の言山中に聞ゆ」
(977頁)とあり、法華経読誦をされていたことは確かです。
 
「殊に二十八品の中に勝れてめでたきは方便品と寿量品にて侍り、余品は皆枝葉にて候なり、されば常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候へ、又別に書き出してもあそばし候べく候」(月水御書290)
「方便品の長行書進せ候先に進せ候し自我偈に相副て読みたまうべし」(文永12年3月・曾谷入道殿御返事912)
「あまりの御心ざしの切に候へばありえて御はしますに随いて法華経十巻をくりまいらせ候(中略)学乗房をもつてはかにつねづね法華経をよませ給えとかたらせ給え」(弘安元年7月・千日尼御前御返事1547真)等との御書があるように、佐前のみならず佐後に於いても、信徒に読誦を勧めています。
また、
弘長二年正月の「四恩抄」にも「学文と云ひ或は世間の事にさえられて一日にわづかに一巻一品題目計なり」(四恩抄236)と
あるように大聖人は読誦されていた事がわかります。
さらに「このほどよみ候御経の一分をことのへ廻向しまいらし候」(上野殿御返事819真)
「されば法華経を山中にして読みまいらせ候人をねんごろにやしなはせ給ふは、釈迦仏をやしなひまいらせ法華経の命をつぐにあらずや、(中略)されば必ずよみかかねどもよみかく人を供養すれば仏になる事疑ひなかりけり」(南条殿御返事1146)
「不断法華経」(富城殿御返事1710真)
「多くの月日を送り読誦し奉る所の法華経の功徳は虚空にも余りぬべし」(四条金吾殿御返事1801)
等との御書が示すように、身延山に於いても大聖人が読誦されていた事がわかります。
此等の御書からも、妙法五字の受持唱題が根本中心であることは勿論ですが、併せて書写・読誦・解説を分分に修する事は大聖人の教えに反するものではない事がわかります。
 
『日興上人御伝草案』の最後部分に、
「御書の中に一部之五種行はすべて見えず、たとえ之れ有りとも、佐渡已前乃至未勘之時の事は・・」と、「もしも一部之五種行を認める御書が有っても、それは佐渡前の御書や未勘の時の教示である」と書いてますが、『日興上人御伝草案』が否定している「一部之五種行」とは、妙法五字受持信唱を根本中心行として認めないで修する五種行の事であると解釈しないと、大聖人が身延山で行っていた書写・読誦・解説と矛盾することになります。
大石寺系信徒は『日興上人御伝草案』の「もしも一部之五種行を認める御書が有っても、それは佐渡前の御書や未勘の時の教示である」との弁明を踏襲して「対機与同で書写や読誦を行ったのである」などと言い張ります。
しかし、もしも書写・読誦が謗法で有るなら
建治元年九月の「阿仏房尼御前御返事」にも
「此の度大願を立て後生を願はせ給へ少しも謗法不信のとが候はば無間大城疑いなかるべし、(中略)謗法不信のあかをとり信心のなはてをかたむべきなり、浅き罪ならば我よりゆるして功徳を得さすべし、重きあやまちならば信心をはげまして消滅さすべし(中略)相構えて相構えて力あらん程は謗法をばせめさせ給うべし」(阿仏房尼御前御返事1110)
と教訓している大聖人が佐渡以後に於いて書写・読誦される道理がありません。
また大石寺系の信徒は、
「法華経の中にも広を捨て略を取り略を捨てて要を取る所謂妙法蓮華経の五字名体宗用教の五重玄なり」(曾谷入道殿許御書902真)
「今末法に入りぬりば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし、かう申し出だして候もわたくしの計にはあらず、釈迦多宝十方の諸仏地涌千界の御計なり、此の南無妙法蓮華経に余事をまじへばゆゆしきひが事なり、」(上野殿御返事)
との御書を引いて「広略すなわち法華経読誦を捨てよと有るではないか。唱題の他に読誦などの余事を混ぜ行ってはいけないとあるではないか」と主張します。
大石寺系の信徒のこの主張は御書の意味を正しく理解していない事に起因する誤った主張です。
大聖人が「末法衆生成仏の為の行法は題目受持に限る」旨を云っている箇所は、「末法に於ける成仏の為めの根本的行法(正行)はお題目の受持信唱である」事を強調しているのです。
「正行としてのお題目の受持行以外の読誦解説書写の四種を禁じる」などとの意味ではなく、読誦解説書写等を成仏のための根本的行(正行)と思ってはいけないとの意味なのです。
 
『法華取要抄』に、
「末法に於ては(中略)一閻浮提皆謗法と為り畢んぬ、逆縁の為には但妙法蓮華経の五字に限る」(法華取要抄816真)
とあるように、末法のはじめ五百年の衆生は大判的に言えば、逆縁の機根、本と未だ善有らずの者ばかりだから、本門寿量品の肝心南無妙法蓮華経の五字を強いて聞かせ下種結縁しなければならないと言うのが日蓮聖人のお考えです。
本未有善すなわち未下種の者・逆縁の機根の者を救済対象の行法とか成仏の為めの根本的行法すなわち正行を強調して示す場合に「但だ妙法蓮華経の五字に限る」とか「今末法に入りぬりば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」と言う表現を取っているのです。
 
『法華取要抄』には続いて「我が門弟は順縁なり」とあって、弟子信徒となった人たちは順縁すなわち本已有善の機根であると有ります。順縁の者には助行として法華経読誦を許されていたので、上に提示したように、信徒に助行としての読誦を勧めている御書があるのです。
「御義口伝」の
「品品の法門は題目の用なり体の妙法末法の用たらば何ぞ用の品品別ならむや、」(御義口伝巻下)との文や、「今日蓮等の弘通の南無妙法蓮華経は体なり心なり廿八品は用なり廿八品は助行なり題目は正行なり正行に助行を摂す可きなり云云。」(御義口伝巻下)
との文が、妙法五字唱題と二十八品の法華経との関係についての日蓮大聖人のお考えを伝えていると云えるでしょう。
 
大石寺系信徒の中には「立正観抄」の「本の大教興れば迹の大教亡じ観心の大教興れば本の大教亡ず」(846)の文を根拠にして「方便品も寿量品も所破のために読むのだ」などと主張する者も居ます。
この主張は、教観の関係についての大聖人の教示を無視した所から出てくる誤った主張です。
大聖人は教と観との関係について
「教を離れて理なく理を離れて教無し理全く教教全く理と云う道理汝之を知らざるや」(聖愚問答抄378)
と述べています。
「観心の大教」とは法華経本門の深意・深義のことで、経の即しているものです。
「立正観抄」に「止観一部は法華経に依つて建立す(中略)故に知んぬ法華経を捨てて但だ観を正とするの輩は大謗法大邪見天魔の所為なることを、(中略)次に観心の釈の時本迹を捨つと云う難は法華経何れの文人師の釈を本と為して仏教を捨てよと見えたるや」(立正観抄844・846)
とあります。この文の「止観・観心」を妙法五字に当てはめると、そのまま「法華経など必要ない、読誦する場合は破るため読誦するのだ」などと云う大石寺系信徒の主張は「大謗法大邪見天魔の所為」と云うことになります。
 
大聖人は
「問うて云く法華経は誰人の為に之を説くや、答えて曰く(中略)末法を以て正と為す末法の中には日蓮を以て正と為すなり(中略)問うて曰く本門の心如何、答えて曰く(中略)涌出品の動執生疑より一半並びに寿量品分別功徳品の半品已上一品二半を広開近顕遠と名く一向に滅後の為なり」(法華取要抄813真)
 
「流通の一段は末法の明鏡尤も依用と為すべし、而して流通に於て二有り一には所謂迹門の中の法師等の五品二には所謂本門の中の分別功徳の半品より経を終るまで十一品半なり、此の十一品半と五品と合せて十六品半此の中に末法に入つて法華を修行する相貌分明なり(中略)其の中の分別功徳品の四信と五品とは法華を修行するの大要在世滅後の亀鏡なり。」(四信五品抄1295真)
と、法華経は末法衆生救済を主目的にして説かれた経であると教示しています。
また、
「今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給いて世に出現せさせ給いても四十余年其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し」(新尼御前御返事867曾存)
「此の御本尊は在世五十年の中には八年八年の間にも涌出品より属累品まで八品に顕れ給うなり」(日女御前御返事1374)
「迦葉阿難等竜樹天親等天台伝教等の諸大聖人知つて而も未だ弘宣せざる所の肝要の秘法は法華経の文赫赫たり」(曾谷入道殿許御書908真)
 
「久遠実成の一念三千の法門は(中略)本門正宗に至りて寿量品に説き顕し給へり」(太田左衛門尉御返事1498)
 
「法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は此の三大秘法を含めたる経にて渡らせ給えばなり、秘す可し秘す可し。」
(三大秘法抄1866)
と、大聖人弘通の三大秘法は法華経に説き置かれていると明言しています。
かかる法華経を「法華経は末法の衆生には役に立たない。所破の為めに読め。捨てろ」などと大聖人が教示する道理はありません。
(引用御書ページ数は昭和定本です)
追記
読誦を禁ずるなら布施献金も禁ずべし。
「四信五品抄」に於いて、
初心の行者に、六度行の実践や解説などを無理に行じさせる事は、例えると小舟に重すぎる荷を積むと転覆してしまうようなもので、修行を挫折してしまうから、初心の修行者は初随喜一念信解位の修行を中心根本行とすべきであり、一向に南無妙法蓮華経と唱えることを以て、一念信解・初随喜位の修行としています。
そして「直ちに専ら此経を持つと云うは一経に亘るに非ず専ら題目を持って余文を雑えず尚一経の読誦だも許さず何に況や五度をや」(四信五品抄1297)と有ります。
そこで、仏立宗信徒が、この文を挙げて「大聖人は読誦を許さないと明言している。読誦は謗法である」と言って読誦否定の主張するようです。
しかし、「分別功徳品」は「現在の四信」として、「一念信解→略解言趣→広為他説→深信観成」との進歩の段階を示し、「滅後の五品」として、「直ちに随喜の心を起こす→加えて自ら受持読誦す→加えて他を勧め受持読誦せしむ→加えて兼ねて六度を行ず→加えて正しく六度を行ず」との進歩の段階を示しているように、初心の行者も力がついたら、上位の行を分に応じて行うべきだと思います。
「我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(諸法実相抄729)
と有るように、分に応じた「広為他説」を勧めていますし、信徒は大聖人の元へ供物・布施を届けています。
これらの事実から言えば、正行・唱題の信行を積んで、力がついてきたら順次、法華経読誦・解説、御供養などなどを分に応じて実践して行くべきだと言う事です。
仏立宗でも、供養・財施や説教聴聞を信徒に勧めていると思います。
御書の学習は解説行の範疇にはいるし、お寺や僧侶に布施献金することは布施行の範疇に入る行為であり、一念信解・初随喜の位より上の略解言趣や、兼ねて六度を行ずる位の範疇に入る行と言えます。
故に「四信五品抄」の「一経の読誦だも許さず、何に況や五度をや」の文を根拠に「読誦は謗法である」などと主張するならば、五度の範疇に入る布施献金や御書の学習をも禁じ無ければならない事になりましょう。


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